謝罪

なんと、大学を卒業できました。りんねです。

私は学校が嫌いです。ごめんなさい。理由は、社会性協調性その他あらゆる無言のうちに求められている能力が欠乏している劣等感を感じるからです。皆に合わせる、の「皆」が誰なのか、合わせるとはどういう事なのかが分からず、最後まで出来ませんでした。結局しっくり来ないまま、教育を受ける権利を消費してしまいました。税金の浪費。申し訳ないです。
卒業式は袴より安く機能性が高く可愛く気品のあるロリータワンピで出ました。9割袴でした。もう少し、アバンギャルドな方も多いと踏んでいたんですけどね…。ワンピースは私のみ。袴には正統な伝統と感謝の表現、大人になった証明…といった意味があると知ったのは前日でした。先生方の優しさと熱意に感謝はしていますが、もし服装が原因で伝わっていなかったら残念です。まぁ、その程度の信頼関係だったと切り捨ててしまうだけですが。冷たくてすみません。
授業なんて教科書読めば分かるじゃん!と寝てました。そのくせレポートは虫酸が走るような綺麗事を半分本気で書いていました。半泣きで学校に行ったりドタキャンしたりした事もありましたが、無事に単位を頂きました。昔から、良さげな香りの文章を書く事は得意で、記憶力も良い方なので、オンライン授業でカメラをオフにし最終レポートでちょろまかす手腕には自信がありました。驕り、嘘つき、本当にそう思います。本当に。

先程、ロリータワンピで卒業式に赴いたと書きました。様々な人に褒められました。可愛いと。批判や非難は聞こえませんでした。友達なんていない、行きたくない、と最後まで駄々を込めていた私は、素直に褒めてくれる友達がこんなにいたのか、と寧ろ驚きました。というか、疑いました。そのお褒めの言葉は没交渉であった罪悪感から発せられた言葉なのか、お世辞なのか、皆目見当がつかなかったので。素直に受け取れず、曲解してしまいごめんなさい。

ちなみに私は「友達がいない」と思っていましたが、それは誤りだったと気づくのが遅すぎた気がしています。私にないものは開いた心、人間性、ああ、振り出しに戻りましたね…。つまり友達がいるにも関わらず、友達として付き合う心構えが、覚悟が足りなかったのでしょう。ただの怖がり。裏切られるなら信じないと、孤独な道を無意識に選んでいたのかもしれません。オンライン授業となった3年間、1度も誰からも連絡が来なかったという事実に悲しみを感じる心もありませんでしたが。
どちらの道が良かったのか…仲間か一人か…こんな極端な二択がそもそも誤りなのかもしれませんが…分かりません。16年間、教育とやらの恩恵に授かりながらこの体たらく。五里霧中どころか最早視界を覆うものが霧なのかすら分からないような至らなさ。どこに謝るべきなのかも分かりませんし、そもそも謝罪する事なのかと考え始めたら更に脳内がこんがらがってきました。いやー、実は楽しいんですよお一人様ライフ。怖いものが、失うものが、限られているのでね。恥じるものも少ないですし。
とにかく、よく分からないので一応謝罪の気持ちを記します。

さて、まだまだ謝りたいことはあります。ですがもう結構謝った気がするので、重たくなりすぎないようあと一つで締めましょう。
一つ、特に謝りたい事、それは「人生の楽しさが最後まで分からなかったこと」です。
父に言われたんですよ。亡くなる前に。最後の言葉を話したいと。電話で。
そこでね、言われたんです。「お前は、とりあえず楽しく生きろ。まずは楽しめ。」と。
死相の浮かんだ顔で、必死に、だけど温かい声で、伝えてくれたんです。「楽しめ、やりたいことをやれ…」ってね。
でも、分からない。私はやりたいことが分からないんです。夢もない。野望もない。好きな食べ物、アーティスト、推し、そんなものがない。分からない。そう。何も分からないんです。
嫌いの反対は好き、だそうなので、甘いものは好き。そんな程度。痛いことは嫌なのでゆったり生活したいですね。
あ、でも、可愛いものには惹かれるな、自分が可愛いと楽しいな、とは思います。あと…あぁ、読書は好きです。何時間でも読んでいます。そんな感じで好きなものを、水場で綺麗な石を拾い上げるような感覚で集めています。というか、それでギリギリ生きています。同時に、どうせ面倒な性格なのでアンテナの振れが極端で好きとか嫌いとか、どうせまたすぐ変わると思っています。諦念。1ヶ月後の自分なんて、想像する気すら起きません。
子どもとか、仕事とか、期待してもいません。お世話になった皆様、誠に申し訳ない限りでございます。

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