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雑記 結婚するとかしないとか、子供を持つとか持たないとか

 noteからの通知で、「今日のあなたにおすすめの記事」というのがきていたりすると、たまに読ませていただくことがあります。
 先日おすすめされたのは、結婚はしているけれど今のところは子供を持たない選択をしているという30代の方の記事でした。子供は可愛いと思うけれど、自分は子育てに向いてないから子供はいらないというような内容でした。
 友人の中にも自分は子育てに向いていないと言っていた方がいたことを思い出しました。
 
 先に申し上げておきますと、私は、パートナーがいてもいなくても、結婚していてもいなくても、子供がいてもいなくても、それは本人が選択したことだから、周りがどうこう言うものではないという考えです。多様性が叫ばれる昨今だからそう考えているわけではなく、小学生くらいからずっと変わらずそういう考えです。

 人類の長い歴史の中で、数多の人間が親になってきたと思うのですが、その中で本当に完璧な親をやれてる人なんて存在してるのか?ってくらい、親なんて不完全な生き物だと思っているのですが、真面目に考える人ほど、子育てに向いていないって思ってしまうものなのでしょうか。そんなこと言われたら、自分みたいな親なんて存在することを許されないレベルのしょうもない親なんですけど…
 親というのは全知全能の神ではなく、同じ人間ですし、失敗もするし、間違うこともあるし、悩むし、そんな大層なものでもないと思っています。

 それとも、私が子供だった昭和から平成にかけての時代と子育て真っ最中だった20年前とですら、時代の変化を感じていましたが、そこからどんどん変化のスピードが早くなっている現代は親に求められる要素はさらに変わって、全知全能であることが必須条件になったのでしょうか。

 自分自身、子供が苦手でしたが、結果的に二人育てましたし、子供に携わる仕事をしたこともあります。
 育てたと言っても、周りのたくさんの人達に支えられてなんとか乗り切れたわけで、親だけが育てたわけではありません。親戚、私の友人、子供の友人、学校の先生、かかりつけ医院の方、スポーツ少年団の監督やコーチやチームメイトの保護者、塾の先生、部活の関係者、顔馴染みのお店の方、地域の方、などなど本当に多くの人達に助けられて、見守られて、気にかけて頂いて、子育てを終えることができたのです。

 私は不出来な人間なので、恐らく子供を持っていなかったらそういう視点を持てずに、それこそ自分一人で大人になったみたいな気でいたと思います。子育てすることで、周りに対して感謝をする気持ちが自然に持てるようになったというのはとても大きな変化でした。これはあくまでも私の経験であり、どんな状況でも周りに感謝できる人もいるし、またその逆も存在するとは思います。ただ、より多くの気付きのチャンスを与えてもらったという感覚です。

 コスパやタイパが大切だと言われている現代では、コスパもタイパもかなり悪い「子育て」をするというのは合理的ではないという意見は、とてもよく分かります。しかし、人生100年時代とも言われている中で、20年をかけた1つのプロジェクトに取り組むというのも悪くないのかなと思います。
 特に自分は、後世に何かを残せるような優れた人間ではないからこそ、とりあえず次世代に命を繋ぐということくらいはできたのでよしとするか、と考えています。






 

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