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家事が苦手な私への応援歌みたいな小説だった。#創作大賞感想

家事が苦手だ。子供の頃から身の回りのことをするのが苦手で、大人になった今でも、掃除も片付けも裁縫も人並みにできない。できるのは、猫の世話だけ。一人暮らしが長かったから、なんとか料理はする。でも、うまいわけじゃない。レトルト調味料に助けられ、冷凍食品に支えられ、何を出しても「おいしい」と言ってくれる夫に救われているだけだ。洗濯は唯一嫌いじゃない家事だけれど、得意なわけじゃない。アイロンなんかすれば余計にシワになる。ちょうど昨日、仕事から帰ってきた夫が、部屋干ししてある自分のシャツの袖を黙って内側から元に戻した。片袖だけ裏返ったままで干していたことに、私は一日気付いていなかったのだ。夫は絶対に私を責めないし、これも私の個性のうちと思って本当にまったく気にしていないらしいのだけれど、やっぱり申し訳ないと思うことがある。こんなポンコツな私でごめんなさい、と。

せやま南天さんの「クリームイエローの海と春キャベツのある家」は、家事代行サービスで働く一人の女性の話だ。家事なんて誰にでもできる、と思っていた主人公が、ある家庭で家事代行をしていく中で少しずつ変化していく、とても温い気持ちと爽やかな読後感のある素敵な小説だ。

私は、早く次の章が更新されないかな! と日々楽しみにしていた。そして読み終わったときに、どうしてこんなに楽しみにしていたのか、自分でわかった気がした。

私が自分の家事に劣等感を持つのは、少なからず自分の母親が原因だと思っている。私の母は、それはそれは家事のできる人だ。子供を四人育てながら、家はいつもきれいに片付いていた。父親がかなりだらしない人だったけれど、父のことも五人目の子供みたいに思っていたのかもしれない。というか、一番手のかかる大きな子供だった気がする。母は、料理は何を作っても美味しい。それを、食いしん坊の父と四人の子供分ささっと作る。味噌や梅ジュースも手作り。子供たちの服はかわいいおそろいのハンドメイド。「お金がなかったから自分で作るしかなかったのよ」なんて母はときどき言うけれど、ダダダっとミシンをかけてワンピースなんか作る姿は、さながら魔法使いのようだ。ボタンもまともにつけられない私には、残念ながら何の才能も遺伝しなかった。

私は母のような妻にはなれない。母のような主婦にはなれない。母のような家事はできない。そのことが、いつも頭の端に引っかかっていたのだと思う。結婚してすぐの頃、苦手な家事を少しでも頑張ろうとしてものすごいストレスをためたことがあった。足の踏み場もなかった一人暮らしの私の家を知っていた夫に、いまさらかっこつける必要なんてなかったのに、「妻」という肩書きの中には「母みたいな人」というある種の呪縛があった。

でも、この小説を読んで改めて思った。
「母はすごかった。それでいい。私は、私にできることをする。それでいい」
夫に迷惑のかからない範囲で、自分らしく過ごそう。夫と私が過ごしやすければいい。そういう家にしよう。私は母のようにはなれないけれど、子供もいないし、もっと自由に、自分らしく家事を楽しめばいいのではないか。改めてそんな気持ちにさせてくれる小説だった。それに、なんといっても私の夫はマメでキレイ好きで、掃除も得意だ。だったら、甘えればいいじゃないか。
家庭というものは、外からでは見えない。その中で、みんなが四苦八苦しながらきっと家事をしている。私は子供だったから気付かなかっただけで、もしかしたら母もいろんな苦労をしながら家事をしていたのかもしれない。家事とは、生活をすることだ。生活をするとは、生きること。私はこれからも、私にできることをやりながら、唯一得意な「夫と仲良く過ごす」という家事をして、生きていきたいと思う。それが私の、生きやすい家だ。

素敵な小説をありがとうございました。
みなさまもぜひ、読んでみてください。

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