雑記:人が死んだり殺されたりする小説を書くとき思うこと。

私が書く小説の中では、よく人が死ぬ。穏やかな感動に包まれた優しい死はあまりなく、かなりの確率で殺されている。私は、それをエンタメとして小説にしている。

もしかしたら、身近な人を亡くした経験のある方は、読んだら嫌な気持ちになるのかもしれない。そう思うことがときどきある。

あるプロの作家さんが、推理小説の中で、家庭内暴力と殺人を書いたところ、読者の方から【トラウマがフラッシュバックした】というお便りが届いたそうだ。作家は、もちろんそんなつもりでは書いていない。でも、書いたものが、人を傷付けることがある。その作家さんは、文庫版を出版するときに、冒頭にそのことをわざわざ書いていた。【こんなことがあった。申し訳ない】と。私は作家ではないけれど、物語を書く人間として、考えなければならないことなんだ、と、それを読んだときからずっと思っている。

私が書くのはエンタメだけれど、だからといって、楽しんで気安く簡単に人を殺しているわけではないということは、お伝えしておきたい。私は、私なりに、人間や人生や人々の暮らしや生き方なんかと向き合って考えて、その結果、私が表現するものの中で人が死ぬだけなのだ。

でも、こんなのは言い訳だ。

私が書いた小説が、低俗で軽薄なものだったら、読んだ方は、この作者はなんて人の命を粗末に描くのだろう、と思うことだろう。作者が何を思って書いたか、なんて、読者の受け取り方次第で、私はそこに何を言おうと、それは言い訳なのだ。だから、作者は、作品の中でしかそれを表現できないし、作品の中でこそ表現しなければならない。

そんなことを肝に銘じて、これからも小説を書きたいと思う。


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