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雑記:私の足跡もきっと道になっている。

 私は、クリエイティブなことを仕事にしてきた人に対する憧れがすごく強い。小説を書いてきた方、脚本を書いてきた方、コピーライターをしていた方、絵を描いてきた方、それらを現在進行形でやっていらっしゃる方……。クリエイティブな仕事って本当にたくさんあるけれど、私はそのどれひとつにも関わってこなかった。

 何かを始めるのに、年齢は関係ないってよく聞くけれど、本当なのだろうか。スタートラインのまだまだ手前くらいに、どうにかやっと恐る恐る立っている私と、お仕事としてやってきた方とは、とうてい現世だけでは埋められない距離を感じる。もちろん、お仕事にしてきた方が楽々やってきたなんて思っていない。きっとすごく努力されたのだろうし、苦労もあったのだろうし、簡単な道だったなんて思っていない。でも、そもそも仕事にできるだけの才能と、積極的にチャンスをつかめる気持ちと、勇気と、お客様に満足してもらえる出来栄えと、すべてがあって初めて仕事として成り立つ。そのすべてに、私は羨望する。そんな方の記事を拝読するとき、あまりに眩しくて、一瞬目がくらむのだ。

 そんな方たちがクリエイティブな仕事をしていたとき、もしくは仕事につながるための努力をしていたとき、果たして私は何をしていたのだろう。そう思って、自分の足跡を振り返る。


 クリエイティブなことに興味がなかったわけじゃない。
 高校のとき、大学進学の進路を決めなきゃいけないときに、私の進路候補はふたつあったのだ。

 ひとつめは、心理学やカウンセリング、医療福祉など、人と関わる仕事につける進路。人間の心理というものにずっと興味があって、今もあるのだけれど、勉強してみたいと思った。そして、人と関わっていける仕事がしたい、と思った。

 進路候補のふたつめは、文章に関わる仕事につける進路。本を読むことも、文章を書くことも好きだった。文学部をはじめとする文系の大学に通って、何かしら文章に関わる仕事をするのはとても自分にあっていると思った。自分が書く、というより、書くという行為に関わっている仕事、に憧れていた気がする。いつか自分で書けたらいいけれど、自分で書けなくても文章と関わっていたい。そんな気持ちがあったのだ。

 進学という岐路に私は、自分のやりたいことと、その他、学費や職業のつきやすさ、お給料など、いろんなことを考えた結果、看護科を選択して、看護師になって、十四年ほど精神科の入院病棟で働いた。

 結局、仕事で文章に関わることはなかった。人間の精神心理のほうへずっと偏った仕事を選び、ずっとその現場にいた。大学時代の小論文の成績はとても良かったし、働いてからも学会発表の原稿などは上手にできたけれど、文章を仕事にすることはまったくなかった。精神看護という世界の奥深さにのめりこんで、一生懸命勉強したし、一生懸命働いた。

 それで、三十代の後半に仕事を辞めることになって、今専業主婦をやっていて、ふいに書きたくなって、noteにたどり着いたのだ。

 noteを始めてみて、クリエイティブな仕事をしてきた人たちを目の当たりにして、ものすごい羨望の気持ちが膨らんだ。私は選ばなかったほうの進路。進まなかったほうの道。あのとき、文章に関わることを選んでいたら、私は今何をしているのだろう。

 もしかしたら、このきらきらした経歴を持っている人は、私だったかもしれない。

 そんな「たられば」を考えつつ、私が選んだのはどんなだったのだろう……と足跡を振り返ってみる。
 
 例えば、看護学校の演習で血圧がうまくはかれなくて残って練習したこととか、初めて採血の練習をするとき、まずはミカンに刺して練習したこととか、相手はミカンなのに針先がぶるぶるするほど緊張したこととか、実際に学生同士で採血の練習をするとき、何かあってもすぐ病院へ行けるようにみんな保険証持参で、ふたり一組になって腕を差し出し合って、人の肌に針を刺す恐怖を味わったこととか、病院実習のとき初めてCV挿入の見学をして貧血を起こしてぐらんぐらん揺れていたこととか、そのくせ消化器のオペ見学は全然平気だったこととか、同級生が私の家に集まってほとんど徹夜でレポートを終わらせたこととか……学生時代のことだけでも、数えきれない記憶がよみがえってくる。
 働いてからは、もっとだ。私は働いていた十四年の間に、毎日患者さんと向き合って、毎日自分と向き合って、毎日勉強したし、毎日一生懸命働いた。たくさん遊んで息抜きもしたけれど、すごく真面目に一生懸命働いた。私が自分に自信を持っていることはとても少ないけれど、仕事に一生懸命取り組んだことは、自信を持って言える。

 二十代の前半の、まだ何にも諦めのついていない未熟な時期に、看護に関わっていて本当に良かったとも思う。今の、四十を過ぎた私だったら、変に物事を理解してしまったり、妙にうまく折り合いをつけられるようになっていたり、理不尽なことを飲み込むのが少しだけうまくなっていたり、そんな年齢になる前に、看護に関わって良かったと思う。むき出しの、生身のままで歯をくいしばって、いろんなものに立ち向かえた気がする。

 今私は、看護には関わっていなくて、専業主婦なんだけれど、また仕事をするならば、きっと看護を選ぶのだろうと思う。そう思えるくらい、まだまだ関わりたい世界なのだ。

 ああ。
 振り返ってみれば、私の足跡もちゃんと道になっているではないか。選ばなかった道もある。選択しなかったこともある。それで逃したものもたくさんあるだろう。でも、自分が選んでやってきたことが、きっと私の中で今の私を作っている。選んだ道は無駄じゃなかったし、きっと私にとっては良い選択だったと信じたい。

 今からでも、クリエイティブなことに関わるのは遅くないだろう。目指す方々の背中は遥か遠くて望遠鏡で覗いても見えないかもしれない。でも、振り返ってみれば、きっと私には私らしい道ができている。ここからまた、一歩ずつ私らしい道を作っていけばいいのだろう。それがいつか仕事になるのか、一生アマチュアの趣味のままなのか、そんなことはわからない。でも、書くのが好きなら、書いていればいい。それもいつかきっと振り返ったときに、私を作る大事な一歩になっている。今も私は、道を歩いている途中なのだ。


 自分のことを振り返るきっかけをくださった記事は、こちら、猫野サラさんの記事です。

 神様は、ひとりひとりに授ける才能の量をお間違えじゃないですか? と思うほど眩しくて、憧れます。絶対に現世では追いつけないとわかっているけれど、素敵な背中が遥か遠くに目をこらしたらすこーーーーし見える、くらいのところまで行けたら最高だな、と思いました。

 ありがとうございました。

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