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【真実の歴史④日本の精神性が目覚めた時、新時代が訪れる〜特攻隊はなぜ神と言われるのか〜】

ガイヤの法則、

日本人が本当の日本の精神性に目覚めた時に、新時代への転換が起こる。

目覚めよ日本!

これを知っている西欧の支配者たちは、日本人の目覚めを過度に恐れたのだ。

日本人の中に眠る精神性の目覚めが、次の時代を転換させる要因となる。


まずは、日本人を深く眠らせることに使ったプロパカンダを解く必要があります。


私たち日本人のDNAにはその精神性が刻まれているのです。

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今回の選挙は、憲法を変えるための選挙だと言われていますが・・・

(あ、物価高騰が肝な選挙と岸田さんは言っておられますがw😭あははー)


なぜこんな話になっているのか?


これは外圧からきていると言われています。


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新たなビジネス・サービスには、既存の制度が適合しません。4万件の規制・制度をデジタル原則の下で見直します。

緊急事態条項が付け足されることにより、国連が指揮官に入り世界政府の指示に従う流れができるからだろう。


これはアメリカからの命令であり、そしてアメリカの後ろにはもちろんグローバリストがいる。


自民党の掲げる「改憲」これは誰のために改憲するのか・・・?


そこを私たちは知らなくてはならないだろう。

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そもそも、なぜよその国の利益のために改憲しなくてはいけないのだろうか?


現在も、過去も全ては繋がっている。


また同じ事を繰り返すことになるのでしょうか…💀


それは歴史が証明しているから・・・



2022年7月参員選挙、ここが日本にとって大きな分岐点となっていくのではないか…!



この動画を見てほしい。
この大和魂をあなたは感じることができるだろうか?


神国日本を深く眠らせ、徹底的に日本の精神性を潰した政策を施し、日本の中核に同胞を入れ込んだ。


戦後アメリカは日本を統治下に置いて、それは徹底されました。

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3R、5D、3S政策の数々です。


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そして、アメリカの本音。

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日本人は3S制作により、思考停止状態になってしまったのです。


政治から目をそらし、

自分の多少の贅沢と便利さを手に入れるためだけに全ての行動を決めていくようになる。


それは自身の飛躍どころか、どんどん小さくし家畜化てしまうという現実を創る。

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トルーマンの言う「虚実の自由」だからだ。


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アメリカは本当に戦中の日本という国を恐れていたのです。

日本の過去の戦いは、アメリカにとって大きな権威だったのです。

他の国では簡単に植民地化ができたが、この国は手強い…

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この日本の本来持つ強さを恐れ、

アメリカは日本人の精神性を徹底的に潰す!


とし、

以上👆の政策と共に、

「ウォーギルトインフォメーションプログラム」という名の、

一つの洗脳プログラムを実施した。

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1 日本教育制度に関する管理政策

2 教育及び、教育関係者の調査、除外、認可に関する件

3 国家神道、神社神道国家の保証、支援、保全、監督、ならびに交付の廃止に関する件(神道指令)

4 修身、日本の歴史、及び地理の停止に関する件



ここで真実の歴史は消された。


自国の歴史を知らない民族は、例外なく、

確実に滅びるということを、世界の歴史的事実として証明されているからです。


これに例外はない…。


現在の日本の人口推移をみていくと、

これから100年後、日本は5000万人になると予測されてます。


人口推移の予想は、ほとんど外れることはありません。


ならば私たちが自らの手で学び直せばいい!


真実の日本の歴史を・・・!


話しを戻し、

これがGHQにより戦後墨塗りされた教科書👇

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海苔弁当ww🍱


2,の「教職追放令」で5千人が公職を追放され、全職員の20%に当たる11万人が「線犯の汚名を着せられたくない。この教育ではやってられない」と

教育に熱心だった教員ほど自主的に辞職をしていきました。

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以前の記事にも書きましたが、一番最初に手を入れたのが、日本の頭脳と言われる東大の教授たちでした。

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「戦争についての罪悪感を日本人に植えつけるための宣伝計画」

第二次世界大戦直後に、日本に強力に推し進めた政策の一つです。

これが「自虐史観」です。

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この強固なプロパガンダを解いていくには、

日本を守るために立ち上がった、先人たちの歴史を私たちは知らなくてはならない。


極右などという話しではなく、

あくまでも真実を知ることで、頭の中に「?」と生まれる、

または疑問が沸き上がれば、そこから先はご自身で調べていくことができるでしょう。


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これが、何かしらの気づきのキッカケとなれば、

と思います。


戦争の話は暗く重たい…⤵︎


でもその中には日本人に隠された、真実の日本の在り方がある。



心理学でも真理でも同じく、まずは内なる闇と向き合うことから始まる。
ネガテイブな出来事は、

闇は光へ転ずることに繋がる。


耳障りがと言う人。心地の良い聞きごこちの良いものだけを採用していては、そこに気づきは生まれないでしょう。



ネガテイブを直視し抱き抱える事で、変容は始まります。


大東亜戦争、第二次世界大戦はなぜ起こったのか?

まずはここから始めていきます。


日本は決して「侵略国家」などではなく、大東亜戦争とは国際法で保証された「自存自衛」のための戦争だったのです。

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日本人は欧米列強に立ち向かった歴史的意義を誇り、アジアの解放を目指し人種問題に挑みました。

アジアでは唯一の独立国だった日本が、世界で初めて人種差別撤廃を訴えたのだった。


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1919年1月14日に、

パリに到着した日本全権団は、人種差別撤廃提案のためアメリカ、イギリスなどと交渉を行ったのです。

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しかし猛然と反対をうけてしまいます。

特にイギリスの外務大臣だったアーサー・バルフォアからは、

「アフリカの人間とヨーロッパの人間が平等だとは思わない」と、

交渉は難航を極めました。

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この日本の提案は、世界各国に報道され、

その後大きな反響を呼んだのです。


アメリカの全米黒人地位向上協会(NAACP)も感謝のコメントを発表した。

だがアメリカ大統領のウィルソンは、

『人種差別撤廃提案』は国内法の改正と言及し、

「これは内政干渉にあたる」と言い、

アメリカ国内の強い批判を受けることになる。

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4月11日、国際連盟委員会の最終会合において牧野は、

国際連盟規約の前文に「国家平等原則と国民の公正な処遇を約す」という文言を入れ込むという修正案を提案します。


議長であったアメリカのウィルソン大統領は、

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提案そのものを撤回するよう求めました。


牧野は採択を要求しますと述べた。

結果、議長であるウィルソンを除く、出席者16名で投票を行い、フランス・イタリアの代表各2名、ギリシャ・中華民国・クロアート・スロヴェーヌ王国(後のユーゴスラビア王国)の各1名の合計11名が修正案に賛成し、イギリス・アメリカ・ポーランド・ブラジル・ルーマニアの計5名の委員が反対した。

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多数決では賛成側の圧勝となったが、

ところがウィルソンは「全会一致ではないため、この提案は不成立と宣言した。(実際に全会一致などというルールは存在しない)」


日本のこの提案には、多くの期待が込められていたにも関わらず。です。


こういった流れが大東亜戦争への布石となったのです。


東亜の解放だから「大東亜戦争」と名付けられた。


その真実を隠すために「太平洋戦争」と名称を変え、繰り返しマスコミが報道し、そして教育現場で徹底していったのだった。

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大東亜戦争の日本軍人の偉業が正しく評価され、日本を蝕み続ける「自虐史観」が払拭するまで、まだ日本の戦いは終わったとは言えないでしょう。


そして現代の日本を見ると、見事に過去の日本人の精神性を❝オカルト❞、または右翼といったイメージをつけることに成功した。

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こうして、私たちは先人たちへの尊敬と日本人という誇りを失ったのです。


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私たちが何を隠され、どう眠らされてきたのかを知ろうではないか。


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東条内閣の元、始まった大東亜戦争ですが、


大東亜戦争が始まる東條英機の演説👇


日本は昭和16年12月8日、「自存自衛」と大東亜共栄圏の理想を実現するべく、日本を戦争に追い込んだ欧米諸国に立ち向かうことになりました。


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白人不敗の神話を崩壊させた日本軍はわずか半年余りで、東南アジア全域を西欧列強の植民地支配から解放した後、各地に独立義勇軍を結成して軍事訓練を施し、敗戦後に展開された「第二次大東亜戦争」とも言うべき民族独立運動に契機を与えていく。


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だが開戦以来、武運に恵まれていた日本軍も、米軍の反撃の前に次第に守戦に立たされるようになっていった。


だが日本人は追い込まれた時に、その精神性が目覚めるのです。

この時劣勢な戦局を挽回するために、敵艦船に対して特攻隊が展開されたのでした。

この特攻隊や日本軍は闘いの中に、内側にある大和魂と日本精神をみせてくれました。


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皆さんも一度は耳にしたことがあると思う「特攻隊」と「ゼロ戦」


このパイロットの戦い方は、日本の武士道のように美しく華麗な物だったと言われています。

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三菱が開発した飛行機が「ゼロ戦」です。


その当時、世界中にゼロ戦を上回る性能を持った飛行機は存在しないと言われていました。

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機体を極限まで軽くし、敵の軍用機を一撃必殺にできる強力な重武装も搭載できるようにすること。



国の求める無茶な戦闘機を三菱が形にしたのがゼロ戦でした。


でもそれは「全ての防御と耐久性を犠牲にすること」によって作り上げた戦闘機だったのです。

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つまり、敵から自分を守る防御が一切ないということです。


身を守るのはパイロットの操縦技術のみとなります。


敵との戦闘中であっても、急降下による攻撃・離脱が出来ない機体となりました。


それどころか、戦闘機の骨組みに至るまで穴を開け、

機体の軽量化をg単位で追求した結果、戦闘機本体の耐久性も非常に脆弱なものとなり、

水平方向の運動性能(旋回)だけは極めて優秀だった。


それを乗りこなすことができるのは頭脳明細で、かつ過酷な訓練に耐えられる優秀なパイロットたちで、エリート中のエリートと言われていました。

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最初の特攻隊は、

誰もが上からの命令で特攻に行くしかない!

そんなものではなかった。


頭脳明細だけでなく、高度な操縦技術だけでもなく、

当時の日本人が持ち合わせていた、愛情主義や自分の信念のためならば死の恐怖にも怯まないという、精神力を兼ね備えていなければできるようなものではなかった。


そして日本で最も優秀なパイロット。


「世界の撃墜王ランキング」に入り、エースパイロットで名高い坂井三郎氏、上坊良太郎氏、笹井醇一氏、宮部久蔵氏などがいる。

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彼らは「大空のサムライ」と言われた人物たちです。


日本のゼロ戦のパイロットたちは完全に機体と自分の体と同一化していたというほど、機体と一体化していた。


そして何よりこの「大空のサムライ」と呼ばれた日本のパイロットは、

諸外国のパイロットの戦い方とは大きな違いがあったと言われている。


それは、一発で相手の飛行機を撃墜するというやり方だった。


そこにはゼロ戦の機能的な問題と、武士道ならぬ日本の精神がありました。

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その答えは・・・


飛行機だけを撃墜することで、相手のパイロットはケガをせずパラシュートで脱出し、命が助けることができるからです。


闘う相手を、敵・見方ではなく、同じパイロットであるという見方でした。

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諸外国の飛行機は沢山の弾を打ちまくるというやり方でした。

とにかく数を打ち撃墜するというやり方。


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が、ゼロ戦のパイロットは違いました。


上空での闘いであるうえ、その下にある民家や人々の事も考慮した闘いができるのがゼロ戦の機体性能であり、ゼロ戦を操縦するパイロットの操縦技術というわけです。

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そしてアメリカ軍にも、名を残した日本人パイロットが1人いました。
冨永俊助中尉です。

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5月14日特攻隊で出撃し、南西諸島沖で戦死しました。



精密な計画と卓越した総技術により、弾幕の中をかいくぐり、空母で突撃を果たした特攻隊のパイロットです。

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何ごとにも揺らがぬ強靭な精神力、たった一人で弾幕をかいくぐり空母を大破させた偉業。

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それらを称えたエンタープライズ(アメリカ軍空母)のクルーは、彼をDivin Wind=神聖なる風と呼びアメリカ兵と同じく丁重に水葬したという。

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米海軍は彼についてこう語った
「彼はこれまで日本海軍が3年かかってもできなかったことを、たった一人で一瞬の間にやってのけたのだ」

それは敵とはいえ敬服に値するものであったと。

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そしてこのゼロ戦の技術は、現代の自動車作りの技術に活かされ、世界一の性能・技術と言われている誇るべき日本車に活用されました。


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戦後の日本では、

「特攻を最大の罪悪の一つと見立てて、絶対服従を強要する上司の命令で、いやいやながら死んでいった若い将兵たち」

といった、誤った見方が生まれ。

彼らを哀れな戦争被害者とする風潮があった。


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米・英・仏などでも、神風特攻隊に関する書物が数多く刊行され、高い評価を与えているにも関わらず・・・。



でも特攻の真相は決してそのようなものではない!と、訴える証言はとても多い。


戦没海軍飛行予備学生の遺族の会理事長、杉暁夫氏は次のように語っている。


「私たちの常識ではとても想像もつかないような完全な 滅私 を神風特攻隊員の一人一人が実践してみせたのである」

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「ただ一途に、祖国の危機の前に敢然と立ち向かった若い特攻隊員の偉業を決してないがしろにしてはならない」


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海外の見方はどうだったのか・・・?


世界が語る神風特攻隊真実!


神風特攻隊をアジア諸国の人たちは「生き神様」と呼んだ・・・


「涙が止まらない・・・これこそが武士道精神だ」と、日本と共に戦ったアメリカ兵も涙を流しながら、特攻隊の戦い方に感動を訴えた。



「その勇気に敬服する。」


ビルマ初代首相のバー・モウ


「特攻隊は世界の戦史に見られない愛国心の発露であった。今後数千年の長期にわたって語り継がれるに違いない」

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ニミッツ海軍元師(米太平洋艦隊司令官)

沖縄作戦でアメリカ海軍がこうむった損害は戦争中のどの戦いよりも、はるかに大きかったと言われている。沈没30隻、損傷300隻以上、9千人以上が死亡・行方不明または負傷した。この大損害は主として日本の航空攻撃、特に特攻隊によるものであった。

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ベイツ海軍中佐(駆逐艦艦長)

我々は、あらかじめ日本空軍は手ごわいということを知っていたが、こんなにやるとは思ってはいなかった。我々は「カミカゼ」がかくも多数の人員を殺傷し、多数の艦船を破壊しつつあることを日本軍に認めさせることが許せなかった。それ故、我々はそこに留まってこれを受けなければならなかった。

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R.Lウェアマイスター海軍中尉

日本が失った飛行機の12%で米損傷艦船の約77%、米海軍人員の死傷者中約80%をやっつけたことになる。すばらしい戦果といえよう。もし神風特攻がなかったらアメリカの空母は自由に、日本本土の基地や工場を破壊することができたはずである。

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アンドレー・マルロー(フランスの作家、文化大臣)

彼ら(特攻隊員)に権威欲とか名誉欲などはかけらもなかった。祖国を憂える尊い熱情があるだけだった。
母や姉や妻の命が危険んいさらされている時、自分が殺られると承知で暴漢に立ち向かうのが、息子の弟の、夫の道である。愛する者が殺られるのをだまって見過ごせるものだろうか?

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マルコム・マクガバシ(米海軍大尉)

我々の空母の飛行甲板を貫いたこの男は私より立派だ。

私には、とうていこのようなことはできない。

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アイヴァン・モリス(フランスの日本史家)

神風特攻隊たちの心の中には敵への増悪、復讐心がほとんどなかった。彼らは、外国がもたらす汚れから日本の清らかな土地を守るため、また家族を防衛するため生命を捧げる義務があると遺書に書き残している。彼らの遺書からは、敵兵に対する増悪や西洋人への人種的敵意が出てこない。むしろ、誕生してからこれまでに与えられた数々の恩に報いなければという、責任感や「報恩」の決意が前面にあらわれている。


小灘利春氏(元「回天」搭乗員)

特攻は、我々がもっとも愛するものさらに国民全体を救おうとする我々の決意のあらわれだった。それは「大いなるものに命を捧げる愛」の行動である。

多くの人々の命を救う至上の博愛なのである。人命の軽視どころか比類のないほど他に尽くす「人命の尊重」だった。


「自分さえよければいい」 

というエゴイストには特攻はできることではない。

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「この対戦は植民地主義に終止符を打ち、白人と有色人種の平等をもたらし、世界連邦の基礎を築いた」のであり、特攻隊員は、そして大東亜戦争は戦後のアジア・アフリカに多くの独立国家を生み出す契機を与えた戦争だったのだ。


戦後の日本人は、戦いに敗れたとはいえ、西欧の植民地支配を崩壊させて世界史の流れを大きく変えたという誇りが全く欠けている。


特攻は、欧米諸国の植民地化を逃れようと「我が国を守ろう」とし、劣勢な戦局を挽回するために行った若き青年たちが愛国心であり、自己の命を差し出し、尊くも悲しく、儚く誇らしい、真の日本人の持つ心美しき「愛」の形だった。


特攻隊の戦いを、生き様をその目で収めた人々が「生き神様」と呼ぶ人々の心が理解できる。


その心は清く美しく、そして愛と呼ぶ以外何と呼べばいいのだろか。

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また、実際の戦果も戦後、米国が公表したものよりも、遥かに大きなものだった。


終戦後GHQは占領政策の一環として、日本改造計画(憲法改正、社会システムの改造、歴史の改ざん等)を実施したが、幸いにも日本が、固有の領土のほとんどを保全でき分割占領にもあわず、国体を維持できたのはまさに天の助けでしょう。


天祐とも思われる終戦を招来できたのは、まさに神風特攻隊の影響だったというものは少なくない。

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戦後77年の長きにわたり日本が平和を維持できたのも、憲法九条のおかげではなく日米安保のおかげでもない・・・


神風特攻隊脅威が周辺諸国に抑止力となって働いていると言われている!

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特攻隊が連合国軍に与えた恐怖は、
沖縄戦に用いられたアメリカ軍の物資的量で分かる。


大東亜戦争末期、沖縄戦で日本の兵隊27万人を打ちのめすために、米軍は116万人の兵力を動員したのです。

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輸送船を合わせると1500隻、40隻以上の空母と艦載機約1200機、さらに500両を超える戦車や装甲車。

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さらに膨大な量の弾薬が準備されました。

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穴ぼこだらけの沖縄。   この穴はすべて砲弾の跡です👇

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680万発、これが沖縄にたった一か月(6月)で落とされた爆弾の数です。

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日本軍の損害を最小限にとどめつつ、米軍に最大の出血を強いるために練られた戦術が必要だった。

日本軍に比べ、米軍は圧倒的な物量で戦力の差は歴然だった。

沖縄へ米軍上陸☟

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一進一退の攻防戦の中、4月8日から24日までの米軍の戦死傷者は、予想をはるかに超える2万4000人に上った。


最終的にこの攻撃戦は米軍が制したものの、米軍の戦死傷者を見るとこの数字は日本軍将兵がいかに米海兵隊に恐怖を与えたかを理解することができ、日本軍の反撃の凄さを物語っている。

生き残った日本兵200名は洞窟に潜んで戦い続け「天皇陛下の命により、米軍のところへ行く」と降伏は断固拒んだと言われています。


そして日本軍将兵もまた、沖縄の女学生達も老いも若きも一丸となって、米軍に立ち向かったこれが沖縄戦の実相でありました。

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「沖縄は捨て石となった」なんて言うのも嘘っぱちということになる。


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戦後沖縄でメディアは「日本軍は沖縄を見捨てた」「沖縄は捨て石となった」と、繰り返しラジオでで報道を続けました。


が、しかし事実は違った。


「とにかく沖縄まで何がなんでも行く、行かねばならん。そして必ず沖縄を救ってみせる」という自信と誇りを持って、次から次へと沖縄へと本土から日本軍は飛び立っていったのでした。


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大和の乗員3300名、菊水作戦における陸・海・空軍航空特攻で散華された3000名、皆、至純の愛国心に燃えて沖縄を救うために出撃していったのでした。

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日本軍は残存艦船を全部沖縄に投入していきました。


そして特攻の日、若き陸軍将校は八人の部下に静かにこう言った。


「いよいよ明朝は特攻だ、皆いつものようにおれについてこい。そこで次のことだけは約束しておこう。今度生まれ変わったら、それがたとえ蛆虫であろうとも、国を愛する忠誠心だけは失わぬようにしよう」と・・・



そして特攻出撃は2600を超える数の出撃が行われたのでした。

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そして特攻隊が沖縄の空を飛ぶその時だけが、
沖縄の人々が米軍からの激しい攻撃から逃げる時間をかせいでくれたのです。

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沖縄の人々は日の丸の入った特攻隊の機体を見あげながら、


若き特攻隊員達に、何度も何度も心の内で感謝を唱えた。


「特攻隊のおかげで、自分の身を守れるところまで逃げていくことができた」と、生き残った沖縄の県民たちは言いました。

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こんな青年があどけない笑顔を残し、
家族を思い、国を思い飛び立つことができたなんて…


「沖縄は捨て石だった」と言われることをどう思いますか?という質問に、


<当時を知る沖縄県民の声>

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「そんなことは一度も思ったこともない」


「それは戦後に出てきた話しでしょう、皆が自分の国は守るという気持ちで戦っていました。それは戦後の連中がそういう風に解釈してるだけです。」


「沖縄のためなら死んでもいい」という気持ちで、「一日でも早く沖縄にいる米軍と戦う!」とそれだけしか考えていなかった。

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「偏った人の考えじゃないですか?あの頃は一緒に日本人として戦ったんだから、そんなことはない。みんな真剣に国を守ろうと思って、これは本当に考え間違いだと思います」

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「国のために死ぬんだ」と、こういうことしか心の中にはなかったですね。だから看護婦養成所のお友達とも「靖国神社で会おうね」と、こういう言葉を交わしていました。

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「沖縄をも守ろう」とする日本軍の気持ちと、沖縄県民の「祖国の防波堤になろう」という気持ちが一つにまとまって、あれだけの戦いができた」



「無駄死になんてそんなことは誰も思っていなかった。」


「みんながお国のためお国のためと言ってやったんですから、看護婦養成所に入った者もみんなそうでした。」

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「命を捧げた軍人が全国から沖縄に来た、特攻でも沖縄戦では一番多くの死者を出しているだろう」

「自らの命を捧げて敵艦に突っ込んでいく者の気持ちを分かってくださったら、沖縄を軽視したり蔑視したり見捨てようとしていなかったということが分かるでしょう」


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これが生き残った沖縄県民の声です。


日本軍を信頼し、娘を預ける人も沢山いました。


その娘たちが日本軍の為に炊事をしたり、看護婦養成所に入った人たちです。

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日本軍は沖縄を見捨てたのではなく、沖縄の人たちと共に戦ったのです。

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当時の日本軍は沖縄を守るためにどれだけの心を砕いたのか、
それが伝わってきす。


沖縄戦で旧日本陸軍第32軍を率いた牛島満司令官(陸軍中将)の自決に立ち会った、元従軍看護婦の呉屋貞子氏はこう語りました。

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Q:「牛島中将さんは沖縄住民に対してはどういう風に思っていたのですか?」

A:「優しかった。とってもとっても優しかった。呉屋さんもう戦争終わりだからねこれからはどこかに逃げておきなさいよ」と言われた。


Q:「牛島中将が悪い人みたいに言われているのですけど」

A:「悪い人じゃないよ、人を助けるために自分は命亡くなさったさ。あの方は、人を助けるためにあの人は自分で(自害)しているさ。苦しんで「私が犠牲にならないといけない」と言って自決された」


この日本の稀に見る団結力と、他を自分以上に考えられる民族は他にはないのです。



それは自国民だけではなく、戦った敵国へも、そして共に戦った敵兵でさえも、


「敵を抱き参らせる」という日本元来からくる「在り方」



これが「神国日本」と言われる所以です。



この境地こそ、生なく、死なく、光明弥栄の生命となったのでしょう。

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そして特攻隊の遺書をいくつか紹介いたします。


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自分よりも残された者への配慮が伺える。

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このような手紙を残し、特攻隊は大空へと消えていきました。

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人は究極の時に本性が出るというが、「明日死ぬ」そんな時でも


最後まで国へ忠誠を持ち、笑顔で自分の命を盾にし祖国を守るために

「未来の日本に栄光あれ!」と、力強く飛び立っていったのです。



現代の日本に、命を懸けてでも譲れない価値が果たして存在するだろうか。


10代20代若き青少年の特攻隊たちはそれを持っていた。

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日本の危機は外国人の移民乱入だけではなく、

日本人の精神の危機であることを強く私たちは認識すべき時がきている。



日本を弱体化させようとする勢力がいること、

自虐史観で真実の歴史を知らないことで日本の亡国は進んでいます。


自存自衛のために、先人たちが未来の日本のために戦った歴史があり、私たちの命が繋がれていること。  

戦争は悲しい

双方に多大な犠牲を強いる。

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どうかあなたも心の目を開き、

現実を直視して日本の社会を見てほしい!


二度と戦争は起こしたくない!

起こしてはならない。



これは日本のために戦った先人たちの願いでもあり、現代の日本人の共通の願いであります。

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日本は恒久的な平和を求めます。


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その姿勢は崩してはいけないでしょう。



そして、日本人が日本の真の精神性を取り戻した時に、世界の長い戦いの歴史は終わりを迎える。


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その役割を私たち日本人が担っていることを、知らなくてはならない。



「未来の日本に栄光あれ」

これが特攻隊たちが、そして国のために戦い亡くなった先人たちの最後の言葉でした。



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