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"God is in the details."をどう訳すか。

デザインの学びを通じて、学生の時に大嫌いだった「歴史」というものに興味を持ち始めています。

「何かを知ろうとするとき、そのルーツを辿らなければ真の意図や本質は捉えられない。」と、デザインを通じて感じたからです。

例えば、近年自動生成ツールが進化したりテンプレートが充実したりなど、非デザイナーでもそれなりのものが作れるような状態で、「プロが作る価値とは何か?」と考えた場合、もちろん「細部の究極的な調整」や「唯一無二のデザイン」もそうなのですが、やはり一番の違いは「解釈を提供できること」にあり、クライアントの意図や想いを意味でかたちづくることであると思うし、それができるのがプロのデザイナーだと思います。

ところで、デザインのことを知ろうとする中で、こんな言葉に出会いました。

『神は細部に宿る(God is in the details)』

この言葉、ものづくりやデザインに携わっている方々であれば何度も耳にしているであろう超有名な言葉ですよね。

僕自身、初めて見聞きしたときでも、なんとなく言いたいことはわかりました。

でも、文字情報だけには乗ってこない真の意図のようなものがあるような気がしてルーツを調べてみると、とても面白い事がわかったので整理しておきます。

※この記事を読むことで、「神は細部に宿る」のルーツと、その言葉の解釈を知ることができます。個人的な理解と理由付けもありますので、あくまで解釈のひとつという認識で読んでいただけると幸いです。

この言葉に対する一般的な認識

Stampsof Germany(Berlin)1986、MiNr 753

「神は細部に宿る」という言葉は、建築家のルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエの言葉とされています。

彼は1886年ドイツに生まれ、家具職人として修行を積み、家具工房で徒弟として働きます。

建築事務所で頭角を現した後に建築家として活躍、近代デザインを確立したドイツの美術学校バウハウスの校長などを歴任してアメリカに渡り、アメリカの近代運動に指導的な役割を果たしました。

近代建築三大巨匠の1人です。代表作に、シカゴのIBMビルや、ニューヨークのシーグラムビルがあります。

言葉のルーツ

では、『神は細部に宿る("God is in the details.")』という言葉はいつ、どんな状況で発せられたのか。

調べていると、こんな論文(関西学院大学リポジトリ)に出会いました。

前述した一般的な認識で、この言葉の起源だと言われていた建築家ルートヴィッヒ・ミース・ファン・デル・ローエ(Ludwig Mies van der Rohe, 1886-1969)のほかに、もう一人、アビ・ヴァールブルグ(Aby Warburg, 1866-1929)という人物が関係しているということがわかりました。

このアビ・ヴァールブルグという人物はドイツの美術史家で、1919年からハンブルク大学の教授を務めていました。

1925/26年ハンブルク大学冬学期講義録メモの中に『神は細部に宿る「der liebe Gott steckt im Detail(ドイツ語)」』があるとの記述があり、現在確認できる最古の用例がこれのようです。

この言葉は、ミースがイリノイ工科大学建築学科の主任教授だった時代に、学生たちに語ったことから有名になったとされていますが、それは1940年代はじめのことです。

しかしヴァーブルクは先程のメモの通り、1925年にしばしば "Der liebe Gott streckt im Detail."と語っていたという証言があるので、ドイツ生まれのミースはこの格言をドイツ語で知り、のちに英語で"God is in the details"と語ったと推定されます。

ただし、この言葉の本当の起源としては専門家でも確かなことは言えず、推定の範疇を脱さないため、現状では「諸説有り」として結論づけられています。

細部の意味

起源は諸説有りといえど、ヴァールブルグが実際にこの言葉を愛用していたのは確かです。彼はどういった解釈でこの言葉を使用していたのでしょうか。

ヴァールブルグにとって細部とは、画像情報などの視覚的に発見される細かい「部分」の事だけではなく、むしろ物事の経緯を辿ることでわかる過去の事実関係のことを指すといいます。

彼にとって、細部に立ち入ることは、視野を広げることを妨げるのではなく、広い視野の前提となり、現在や未来に繋がる過去の世界を織りなす事実を知ることを意味しているようです。

ヴァールブルグは、自身の美術史学への姿勢をこう表現しています。

「わたしは,美的なものばかりを重視する美術史学に対して心底むかつきを覚えていた。絵をただ形の面からしかながめず,宗教と芸術の中間的な産物としての絵がもつ生物学的な必然性には目もくれないやり方は,わたしには,不毛な言葉の押し売りのようにしか見えなかったのだ」

このことからヴァールブルグが言う「細部」とは、表面的なものではなく、物事の真実や本質へ導いてくれるものであることがわかります。

つまり「神は細部に宿る」という言葉は「見落とされがちな些細な事実のなかに真理へと通じる重要なヒントが隠されている」ということを意味していると捉えることができるのではないでしょうか。

僕は「温故知新」と訳すことにした。

僕はこの記事の冒頭時点で、「神は細部に宿る」の言葉の意味を「美しさは細かい要素のバランスによって成り立っている」といったような、表面的で視覚的な美しさを指摘した言葉だと思っていました。

そして事実として、この言葉がそのような意味で使われている場面はあると思うし、それが間違いだとは全く思いません。

そもそも言葉の意味は時代と共に変化していくので、間違いではないと理解しました。

ただ、今回拝読した加藤哲弘氏(関西学院大学)の論文によって、この言葉の全く別の側面を知ることができました。

この有名な言葉がいつ、誰によって、どんな状況で発せられたのかを知ろうとするその行為によって、つい先程までの自分の認識と平行線上にあった歴史的事実が交差して結びついたような感覚です。

この状況にぴったりの日本語があって、それが「温故知新」です。

昔の事をたずね求めて、そこから新しい知識・見解を導くことを意味するこの言葉を、僕は"God is in the details"の和訳として解釈したいと思います。

有名な「神は細部に宿る」という言葉の意味を知ろうとする過程で、その意味を身をもって知る事ができたような気がして、とても理解が深まったという話でした。

「Historyには、storyがある。」

ちなみに、ここまでのことを知った後、たまたまコピーライターの阿部広太郎さんの本「それ、勝手な決めつけかもよ?」を読みました。

いつの間にか普通になってしまった自分自身の決めつけや解釈から解き放たれるような本で、とても感動しましたし、コピーライターではない人も、毎日言葉を見聞きするうえで大切な考え方を知ることができる本だと思いました。

そして、その後の阿部さんのセミナーでおっしゃっていた、「Historyには、storyがある。」という言葉で、この記事の話に確信を持てた次第です。

まとめ

  • 『神は細部に宿る("God is in the details")』という言葉を愛用していたのは、ルートヴィッヒ・ミース・ファン・デル・ローエと、アビ・ヴァールブルグ。ただし起源ははっきりとわかってはいない。

  • ヴァールブルグにとって細部とは、物事の経緯を辿ることでわかる過去の事実関係のこと

  • 「神は細部に宿る」という言葉は「見落とされがちな些細な事実のなかに真理へと通じる重要なヒントが隠されている」ということを意味している。

  • "God is in the details."を日本語に訳すなら、「温故知新」とも言えそうだ。

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