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27. 落陽のオーケストラ 【完】



尊と2人で、シンジのコンサートに招待された。

あの日、都心の大きなコンサートホールは満員御礼だった。彼の作品が、たくさんの人の心に届いている証だ。

私もシンジの音楽が好きだった。
実際に彼と出会う、ずっと前から。


尊がギリギリに到着するというので、一人で建物に入ると、すでに中は多くの人で賑わっていた。


私は、明るいエレベーターホールで1人、これまでのことについて考えを巡らせる。


これが最後の夜になると分かっていた。シンジにも皆にも、そして尊に会うのも、これっきりだろうと思っていた。

これを最後にしよう、と決心していたわけではないが、もう皆の所ここには戻らない気がした。


ふと気づくと、左後ろから感じる視線。

目の前のエレベーターの扉に反射した、その姿を確認する。


かほちゃん。

いつもと違って服を着ているから、なんだか別人な気がした。でも、ひとりポツンと立っているロングヘアの女の子は、確かにかほちゃんだった。

彼女は私に声をかけるでもなく時々こちらを見ている。


私も声はかけない。


私たちはあの、シンジのマンションでしか話すことがないように感じた。


どんどん人が会場に吸い込まれて行って、エレベーターホールにかほちゃんと2人きりになる。


うん。やっぱり人形みたいでかわいいな。

あれ?あんなに背が低かったんだ。
立ち姿をほとんど見たことがなかったから、知らなかったな。

私が知っているのは、横たわった姿ばかりだった。


目の前のエレベーターが開く。


『ごめん、遅くなった。行こう』
グレーのスリーピーススーツを来た尊が息を切らしている。


スリーピースって、気取った感じがして苦手だ。ベストはない方がいいと思う。



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私たちが座席に着くと、会場内はすぐに暗くなった。


シンジが袖から現れ指揮台に登り、手を上げる。
衣装の装飾がキラキラと光っていた。


ホールは一気に沸き立ち、一瞬でオーケストラに包まれる。
観客の期待と、充満していく音。

遠く前方に、染めたての赤髪が見える。

結婚したい人がいると俯いた、あの日のセナちゃんが頭をよぎった。

彼女が、好きな人と結婚できるといい。



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尊は少しざらついた手を、私の手に重ねてくる。


そのまま会場の圧倒的な空気に身を任せると、また、水の中に落ちていく感覚が押し寄せてきた。


せっかくのオーケストラが遠のいてしまう。


沈んでいくようなのに、重い感覚ではなくて、軽く、ふわふわと浮くように、ゆっくりと底へ引っ張られていく感覚だ。





尊は…


海みたいな人だった。




一緒にいると、水の気配を感じる人だった。

少なくとも最初に体を重ねた時は、海のような包容力がある人だと思った。


なぜそう感じたのか、今ならなんとなく分かる。


彼自身が、大きな海で当てもなく漂っていたからだ。



尊が海だったんじゃない。



どうしたら良いか自分でもわからないまま、尊はここまで流されてきてしまったようだった。あるいは、随分前に考えることを辞めてしまったのかもしれない。


実際は海で溺れているのに、海面ではなく海底に向かって泳ぎ続けている。彼にとっては、海底の世界にいる方が心地良いのかもしれない。それが自由なら、別に構わない。


でも、30年以上、遊びと仕事風俗で体と心を酷使した尊は、疲れ切って何もかも見失っているように見えた。どちらが海面でどちらが海底か、わからなくなっていたんだと思う。


多分それが、尊と私の違いだった。

見たことがない色や形をした魚を見るのはそれなりに楽しかったが、私はずっと海の中にいようとは思えなかった。空だって見たかったし、少なくとも、まだ息継ぎの仕方を覚えていた。忘れられなかった。


そして、尊の手を引いて一緒に海面へ上ろうとも思えなかった。

それで重くなるなら、自分一人で助かろうとした。



『2人で、シンジのオーケストラ聴けるなんてなぁ』

尊が小声で話しかける。




私は、重ねられた彼の手を永遠に離した。



海面へ上がるために。






〜完結〜




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