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6. 恋人じゃない、特別な人



尊はいつも、新宿駅東口のタクシー乗り場で私を拾った。

初めて車で迎えに来てくれた時は、彼の「特別」になれた気がして嬉しかったのを覚えている。


私がお金を払って「海」に会ったのは2回だけで、その後は尊が車で迎えに来るようになった。ご飯や美術館、舞台、もちろんホテルにも行った。



新宿駅前を車で走るのは新鮮だった。
何度も来ているのに知らない街に来たような、ふわふわした変な気持ちになる。


人が多くて、車と通行人の距離もかなり近い。
しかもなかなか進まないから、一人ひとりの顔がよく見える。

「尊のお客さん、この辺たくさんいるんじゃないの。こんな大通り通って大丈夫?」

私は突然後ろめたくなり、隠れるようにして車のシートに身を沈める。


『見られてたらマズいかもね~』

そう言って笑う。

見られて、広まっちゃえばいいのに。
心の中でそう思った。


誰も私たちのことは見ていないし、見えていない。
外にいる人たちは突然、とても遠くにいるように感じた。


ホテルに行って「2人で」セックスをした日は心底安心する。


私はあの電話の後、スワッピングのことを切り出されるのが怖かった。

当然、近いうちに誘われるだろう。


『葵がその気になったら行こう』


尊は、私の心の準備ができるのを待つと言ったが、それは優しさを見せるようでいて、私にとってほとんど強要だった。
早く決めろと、そう言われているようにすら感じた。


『葵は、何がしたい?これは興味ある?』



一緒にいて感じたのは、この人はとにかく好奇心が旺盛だということ、そして中身がいつまでも子供のままだということ。

私自身、冒険が好きで怖いもの知らずなところがある。
昔から、「つまらない人間」の烙印を押されることが一番嫌だった。

私も好奇心旺盛で飽きやすいタイプだが、尊も負けていない。
とにかく興味関心が幅広く、一緒にいて退屈しなかった。



『今度大久保で友達の舞台があるから、一緒に行こうよ!』



もう私たちは、客とセラピストの関係ではなくなっていたと思う。

じゃあ、私たちって、何?


『パートナー』


尊は最後まで頑なに、彼氏とか彼女とか、恋人とかそういう言葉は使わなかった。尊なりの壁だったのかもしれない。

その頃の自分は、はっきりした肩書が欲しかった。
尊との関係の証拠が欲しくて、私は「別に、彼女でいいじゃん」と言ったけど、尊は「特別な人」とか「パートナー」だとか言い続けた。

パートナーという呼び方は、どこか逃げ道を残しているように聞こえる。
まるで、相手が複数人いるような。


そんな風に考えてしまうのは、私だけだろうか。



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