東京/くるい――2024年8月31日

黒沢清監督『chime』を映画館で見る。りんはや、黒沢清好き。

いやあ、気持ち悪い映画だった。気持ち悪いというのはグロテスクという意味ではなく、何だろう、美術館の絵画がすべて斜めになっているような、震度1程度の地震がずっと続いているような、そういう生理的な違和感みたいなものが通底していて、常識という箱にすっぽり収まらない気持ち悪さ。

とにかく登場人物が全員どこか狂っている。だがその狂いは大小さまざまで、中にはほとんど正常な人間と区別しにくい場合もある。でも、やっぱりみんなおかしい。そしてそれが普通の光景として描かれている。狂人でいることが受け入れられている世界。


それと音の気持ち悪さもある。BGMはほとんどなく静謐な雰囲気だが、代わりに効果音で恐怖を煽ってくる。コーヒーをすする音、空き缶を捨てる音、鶏肉を切り開く音、機械のモーター音。我々が普段当たり前に聞いている音が、異常なまでに強調されて頭に響いてくる。

「先生には聞こえませんか、この音」と冒頭のセリフにもあったように、それらの異様な音はすべて主人公の頭の中で肥大化・異形化した音なのかもしれない。あるいは登場人物全員がそのように音を認識していて、その影響で次第に狂気を帯びていったのかもしれない。


映画館を出たあと、新宿の街なかを歩いてみると、通行人がみな"正常すぎる"ように見えた。

規則正しく足を前に出して歩き、教科書通りの文法と用法で言語を使って話し、その表情もちゃんと今抱いている感情に即しているように見える。もちろん人を殺したり殴ったりすることは滅多にしない。仮にあっても何かしらの事情がある。怖いくらいに正常だ。

そんな世の中だからこそ狂気に駆られた人間は浮き彫りになる。その行動如何では排斥されることもある。でも、もしそれが逆転したら。狂気が当たり前で、正気でいるだけで白い目で見られ、ときに病院や刑務所に叩き込まれる世の中があったとしたら。

そんなことを、『chime』を見て、思ってしまった。

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