選択

筑波山の登山ルートを少し外れた岩陰に、この手紙は落ちていた。100円ショップで売っているような安っぽいメモ帳に、鉛筆でびっしりと書かれた怪文書は、私には悲痛の叫びのようにも、自己陶酔に筆が乗っただけの戯言にも見えた。あえてここに全文を掲載する。


━━見知らぬ男或いは女の手記━━


電気を消して目をつむると、布団の中に何かがもぞもぞと忍び込んでくる気配がした。
猫のようだったが、鳴き声も温度もない。
覗き込むと、何のことはない、いつもの希死念慮であった。

自らを世俗から消し去りたいという思いは、毎夜私の着古したTシャツの襟元から皮膚に染み込んで脊髄へと転移し、まるでレトルトカレーのパウチを絞り出すように、全身の血液を頭蓋の方にギューッと押し込んでいく。目の奥にカラフルな電気がパチパチと爆ぜ、暗闇の中でも眼球の焦点が激しく揺れ始めるのを感じる。

脳内ではThis manの顔をした犬だかタヌキだかが絵本のようにメルヘンな野原の真ん中でフリー素材の男性モデルと一緒にブラジルサンバを踊っていた。
就寝前特有のそのカオスな夢想は、しかし希死念慮が入り込むと途端にリアルな光景へと変貌する。
仕事のミスで上司に謝る自分、異性との会話でオドオドする気色悪い自分、風呂上がりの鏡に映る情けない顔面、弁当のガラが散乱した公衆便所のような部屋、3桁しかないATMの残高、何かを成し遂げたこともない中途半端な現状エトセトラエトセトラ……。心地よい眠気と朗らかな夢想は、陰鬱で刺々しい直視し難い現実に取って代わられる。胎児の姿勢でベッドの上にうずくまりながら、誰に対してか分からない謝意に駆られ、涙し、死をもって償わなければ、という罪悪感に苛まれる。
かの文豪は恥の多い生涯を送ってきたと書いて脚光を浴びたが、これほどまでに他人に顔向けのできない恥っかきの人生は世界中探しても、ないのではないかと思う。

死のうとしたことは何度かある。夜中に屋上へ行ったり、ナイフの鋭い切っ先を喉元にあてがったり、電源コードをドアノブに掛けてみたり。だが致死の域に達したことはおろか、デンジャーゾーンに踏み込んだこともない。PDCAサイクルでいえばPとDの間で留まってばかりの、掻い撫での自殺願望。私にとっての玉川上水が、未だ見つけられない。

さらに輪をかけて恥ずかしいことには、これほどまで死を希求しながら、別の日には逆に死への恐怖に怯え、何としても生きたいと切望してしまうのだ。まだ何も成し遂げていないという事実が、時には諦念となり、時には奮起の種となる。死にたいけど死にたくない。生きたいけど生きたくない。中途半端な人間は、死生観までも尻切れトンボなのである。

だから、精一杯生き抜く人も、精一杯死のうとする人も、どちらも同じぐらい尊敬している。
どちらも決死の、あるいは決"生"の覚悟がなければ、切り開けない道だから。

私も早く、どちらか決めなければ、なあ。
と、思うのであった。


━━ここで手記は終わっている。
━━情報をお持ちの方は、ご一報ください。

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