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「在りし日の光景を売らない、という決意」2021年5月15日

金欠なので、自宅にあるDVDを駿河屋に売却しようかなと考えていた。

買取価格を調べてみるとそれなりにいい値段で買い取ってくれるらしい。

心の中では早速、明日売りに行こうと決意を固めていた。

しかしどうせなら最後に見ておこうと思い、先ほどまでそれらのDVDを堪能していた。

その感想。

「売りたくね~~~~~~~~~~~~~~」

売って金にしようとしていたDVDを、一転して永久保存版にしようと考えを改めた。

それはなぜだったのか。


■売ろうとしていたもの

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1枚目はVtuber御伽原江良と森中花咲による音楽ユニットpetit fleursのファーストアルバム「première fleurs」の初回限定版である。

音楽CDではあるが、初回限定版には”ぷりふる株主総会”というイベントを収録したBlu-rayが特典として収録されている。

内容はpetit fleursの二人が自己紹介の挨拶やファンの名称を考えたり、バラエティ番組よろしく箱の中身を当てるゲームに挑んだりし、最後に当時は未発表だった新曲をお披露目するという、まあ言ってしまえば普通のファンイベントだ。

CDはiPodにインポートしてあるのでいつでも聞けるし、特典の方も面白かったが1度観ただけで満足できる内容ではあったので、別に売ってもいいかなと考えていた。


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2枚目はWebメディア・オモコロのイベント「オモコロ大感謝祭」のDVDである。オモコロという媒体で記事を書いているライターさんが登壇し、クイズやチャレンジ企画に挑戦するという内容だ。

オモコロは僕の好きなメディアなのでもちろん楽しませてもらった。

だが、こちらは逆に面白すぎて内容をあらかた覚えていたので、2年ぐらい見返すことはなかった。

だから売ってもいいかなと考えていた。


だが、僕はこの2枚を売るのをやめた。

売ってはダメだと思った。


それは、現在がコロナ禍であることに起因している。


■在りし日の価値

上記2枚はどちらも、新型コロナウイルスが流行する前に行われたイベントである。当然、出演者も観客もマスクはしてないし、声だって平気で出し放題。今となっては「在りし日の」という枕詞が付く懐かしき光景だ。

その”懐かしさ”に、僕は買取価格以上の価値を見出したのである。


1枚目の「première fleurs」はVtuberのイベントということもあり、観客席を熱狂的なファンたちが覆いつくしていた。身も蓋もない言い方をすればオタクの集いである。

オタクが集まれば歓声が沸き起こる。MCで大笑が起こる。コール&レスポンスが盛り上がる。どれもコロナ禍では禁止されている行為である。だが当時は当たり前のようにオタクたちの応援や歓喜の絶叫が会場中に響き渡っていた。

しばし忘れかけていたその光景に、僕はつい感動を覚えてしまったのだ。

その感動の背景には、今月に発売された同ユニットのファーストライブDVD『リシアンサス』を観てしまったことがある。

その映像の中では、観客のオタクたちが大声を出すことを禁止され、橙色の風船と緑色の風船をぶつけ合って音を出すことで歓声の代わりにしていた。本当は「ギバラーーーー!」「かざちゃんーーーー!」などと声を出して盛り上がりたかっただろうに。

そんなオタクたちの不完全燃焼な気持ちを、コロナ前のイベント映像を観て、思い出してしまったのだ。


2枚目の「オモコロ大感謝祭」も似たような理由だ。

このイベントの白眉は、みくのしんというライターが挑んだ「『こんにちは、ARuFaです』丸暗記クイズ」であろう。記事の冒頭に使われている写真だけを見て、その記事タイトルを一言一句正確に答える、というチャレンジ企画だ。

その記事は延べ100近くもあり、しかも使われている画像はほぼすべて似たような構図。タイトル名の暗記はおろか、何の記事か判別するだけでもかなりの労苦を強いられる。

正直、お客さんも出演者も「これは無理だろ」と内心思っていたに違いない。僕も「2問いければ関の山だな」と思っていた。それぐらい激ムズの問題だと感じたからだ。

だがみくのしんは、その難問をなんと全問正解したのだ。

最終問題を正解した瞬間の会場の盛り上がりようは凄まじかった。割れんばかりの拍手。お客さんの歓声。大声で泣き叫ぶみくのしん。彼を激しく抱擁する他のメンバー。そして観客&出演者一同によるみくのしんコール。

そこには、いまでは禁じられてしまったマスクなしでの激しい発声と肉体的接触を介して、喜びと感動を分かち合う出演者たちの姿があった。

好きなライターの努力が最高の形で報われた感動だけでなく、「またこの光景が普通に見られる日が来るのだろうか」という不安と希望と願いに、僕はつい涙を流してしまった。


物を売るというのは、「これはいらない」という意思表示である。本質は捨てるのと変わらない。金を得るため、という点では捨てるより悪質かもしれない。


僕は映像として記録された「在りし日の光景」を、金のために捨てたくはなかった。

いつかこんな日がまた戻ってきますように、という祈りを込めて、ずっと手元に置いておこうと思った。

明日からの生活を、犠牲にしてでも。

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