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【映画】『ジョーカー』の誕生?

ダークナイト三部作の完結編である『ダークナイトライジング』の試写会での銃乱射事件もあり、クリストファー・ノーラン監督の『ダークナイト』以降ジョーカーは映画ファンにとって悪の代名詞となった感がある。
ヒース・レジャーが演じたジョーカーはそれ程までに純粋で強烈な「悪」であった。
そのジョーカーの誕生に関する物語がトッド・フィリップス監督でホアキン・フェニックスが主人公のアーサーを演じた『ジョーカー』である。

「“あの”ジョーカーは如何にして誕生したか?」
これが本作を見るファンの最大の関心事だったことは間違いない。それは僕自身も同様だったのだが、正直に言ってやや期待値を上げすぎたように思う。
一言で言えば(上記でつらつらと書いたが)「これだけ並べればジョーカーが誕生するのは当然でしょ?」と両手を広げられてしたり顔で言われても僕はちょっと首を捻りたくなってしまうのだ。

確かに、主人公のアーサーのおかれた境遇は厳しいものだ。
寝たきり状態の母の介護に始まり、ピエロを派遣する人材派遣会社での扱いも悪く、病院に派遣された際の失敗で解雇されてしまうし、目指すコメディアンの仕事に有り付けることも殆どない。
アーサーは統合失調症を患っており、市(勿論ゴッサムシティーだ)からの補助で定期的にカウンセリングを受け薬も手に入れているが、それも財政難で打ち切られてしまい、やがて妄想と現実の境界を喪失してしまう。
さらには母親もアーサーと同様に患っているようで、ありもしない妄想を現実と思い込んでしまうし、アーサーの幼児期には恋人による虐待に観て見ぬふりを決め込むこともあったようだ。
特に「アーサー=ジョーカー」(作中でピエロ姿のアーサーの模倣犯が多く出ており、同一人物であるかどうかはボカされている)という存在において象徴的なのは失笑恐怖症だろう。これは緊張などに伴って笑いを堪えられなくなるという神経症だそうで、アーサーはそうすべきではない場面で思わず声を上げて笑ってしまう。この障害も周囲の理解度はかなり低いだろう。
加えて、ジョーカーが生まれる社会的な土壌がきちんと描かれていたことも理解できる。
映画の外に目を向けてみれば、トランンプ政権の誕生で露呈した富裕層と貧困層の分裂もこの映画の背景に描かれていたことは間違いない。すぐに消える泡沫候補と思われた「トランプ大統領」が突如出現したのと同様の背景をもって「悪の化身」ジョーカーは誕生したのだ。
本来は新聞やテレビ報道を経てすぐに消えてしまう筈だったアーサーの事件が社会的背景を伴って巨大な社会現象となってしまう。

繰り返しになるが、確かにアーサーのおかれた状況はかなり厳しい。
ジョーカー誕生の土壌が描かれていたことも理解できる。
すでに精神を患っているアーサーが一連の騒動で常軌を逸した行動に走るのも分かる。
まず、メトロ内で犯した最初の凶行については、様々なストレスと恐怖故の自己防衛本能が複雑な反応を見せたのだと理解できる。
しかし、人を笑わせること、楽しませることを愛したアーサーが、母の介護を続けてきたアーサーが、母を、そして憧れの存在であり恩人でもあるフランクリン(ロバート・デニーロ)を、彼らに裏切られたような気になったとしても、自ら手にかけ、さらに社会全体を巻き込んで、ふと我に返る瞬間もなく、彼を支持し暴動を起こす者らの前で意気揚々とポーズを決める姿にはゲッソリとしてしまった。
最初の凶行でタたがが外れて一気に突っ走る、というような疾走感を感じることが出来なかったのだろう。

また、細部のリアリティーのあり方も気になってしまった。
幼きブルース・ウェイン(後のバットマン)の父親であるトーマス・ウェインのアーサーに対する態度がそれだ。大富豪で土地の名士、市議会議員でもある彼が、自分の父親と信じて(上記した母親の「妄想」がこれだ)訪ねてきた者をあれ程無碍に扱うものだろうか?
本心はどこにあろうと、トーマスのような存在であれば、アーサーをそれなりに丁重に扱い、共感を示しつつも、事実ではないことを優しく諭すくらいの度量は必要とされるのではないか?
そこから「裏切られる」という設定は如何様にでも作れるだろう。

否定的な意見の最後に、絶賛されるホアキン・フェニックスの演技も「大人し過ぎる」という印象をもった。どの時点でアーサーからジョーカーへと変身したのか、それを象徴する突出した演技を感じる事はできなかった。

しかしこのような印象も「期待値が高過ぎた」ことが原因に他ならないだろう。
加えて、秋葉原の加藤智大、連続児童殺傷の畠山鈴香、池田小の宅間守、幼女連続誘拐殺人の宮崎勤などと対話し、彼らの心理を解き明かした長谷川博一氏の著書『殺人者はいかに誕生したか』を読んだのもその一因かも知れない。

殺人者はいかに誕生したか: 「十大凶悪事件」を獄中対話で読み解く (新潮文庫) 

著者の長谷川氏は凶悪事件の犯人たちとの対話、手紙のやりとりを通じて彼らに深く刻まれた傷を探り、彼らの本心を引き出している。
法廷で被害者遺族などに暴言を吐き続け、早く死刑にしろと言った宅間守でさえ、そうなるに至るには理由があり、やがて長谷川氏に心を開くに至った。

何も、悪の象徴であるジョーカーに、宅間守と長谷川氏のようなやり取りを望んでいるわけではない。しかし、アーサーがジョーカーになる過程、幼少期の経験や周囲の環境などをもっときっちり描いて欲しかった。
僕に首を捻らせ、ゲッソリさせた原因は、長谷川氏の提示した事実、その圧倒的なリアリティーの前に、フィクションが色褪せたということなのかもしれない。


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