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いつのまにか尖りが消えてるそんな関係


昨日、仲良しな義母から1通のLINE
「(私の実家の)八朔でジャムを作ってたんだけど、3度に茹でこぼししたにも関わらず苦味が口の中に残ってしまう」とのこと

八朔は皮が分厚くて、そしてなによりめちゃくちゃ苦い。苦いというかえぐみがある。なので茹でこぼしは何回するのかではなく、"えぐみが消えるまで"何度でもやらなくちゃならない。
 
すでにジャムにしてしまったのでは再度茹でることもできないため、この度の失敗を自覚したのか穏やかな文面とは裏腹に「やっちまった〜!悔しい〜!」と嘆く義母の姿が目に浮かんだ。

そのときふと私が初めて八朔ジャムを作ったときのことを思い出した。あのときも確かいまの義母のようにえぐみのあるジャムが出来上がってしまったのだ。そのジャムはいったいどうしたんだっけ…。

そうだ、食べたんだ。
 
失敗が悲しくて、だけど捨てるのは性に合わず、冷蔵庫の中にしばらく放置していた。食べないなら捨てるしかないか…と重い腰を持ち上げ、捨てる前にもう一度ぺろりとジャムを舐めた。
すると、おや?なんだか味が…。
もう一度ぱくり。ちょっと後味にえぐみはあるけど、食べられる。うん、食べられるぞ!
 
数日寝かすと味が馴染んだのか尖りが消えるということは、料理を通してなんども経験した。スパイスカレーも出来立てはスパイスが喧嘩しているが、1日経てばみんな仲良く旨みを引き出している。酢の物だって2日目の方がまろやかではるかに美味しい。
 
先日作ったいちご大福を食べながら思う。
出来立てよりも2日目に食べたものの方があんことイチゴが融合して例のしゅわしゅわ感がでていたし、求肥も良い感じにしっとりまろやかになっていた。
 
それを思い出して義母に伝えると、「そっか!じゃあ数日寝かしてみる♪」と元気の良い返事が返ってきた。味がうまく馴染むことを祈っている。
 



ふと、人間関係でも言えることのような気がした。今仲良くしている人を振り返ると、決して最初から心を開いていたわけではない人ばかりだ。
義母だって最初はそうだったし、両親ですら家を出てからかなりまろやかな関係になったと思う。友人だってそうだ。
 
お互いへの警戒心、色眼鏡や思い込み、憧れや尊敬、多少はこういったものが胸をよぎる。私も「思ったより話しやすい!」とか「思った通りの素敵な方で」とか、「え?その"思った"の部分、詳しく聞かせて…?」ともやもやとすることを言われることがある。
 
だけど同時に「私もこの人に対してこういう想いがあったなー」と、自分の中にも境界線をもっていたことを自覚する。
 
だけど話をしているうちに最初のもやもやなんてどうでも良くなって、その人と自分の掛け合わせて生まれる味わいを愛おしく思うようになっていく。2人で遊ぶ時、4人で遊ぶ時、大人数の時、濃厚になったりさっぱりと解けていったり。
 
もしかしたらそんなことが食材の世界でも起きているのかもしれない。(もちろん実際は科学的な理由だけれど)
 
いつのまにか尖りが消えてまろやかになる。
そんな関係性。素敵やん。と思いながら、2日目の苺大福を大きく口に頬張った。
 
うん、やっぱり今日の方がおいひい!

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