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ラブレター3通目が送られてきて

わたしは九州生まれ。

東北に親戚や知り合いはおらず
旅でも行ったことがなく

そんなわたしが
東北とのご縁をいただいたのは
「魔法の質問認定講師養成講座」に参加すると決めた2011年。

なんで山形開催?
そんなことを考えもせず
とにかく直感だけでポチったのを覚えている。

当時のわたしは、既に相談を受けて活動していたのだが
何か足りない気がしていた。

お茶会やランチ会、セミナー、カウンセリング、コラボ企画、オンライン診断・・・
言われたことは何でもやった。
ブログも毎日5記事くらい書き続けた。
ありがたいことに仕事はどんどん舞い込んだ。

でも、なんか違う。

来てくださる方々がリピートし続けてくれることに
違和感しかなくなっていた。

その人が「自分を生きる」とは
自分の体験を通して、自ら気付きを得ることではないだろうか?

起きている出来事に感情で揺さぶられるだけでなく
その奥にはどんなものがあるのだろう?

これは、何を自分に伝えているのだろう?
という自分を見続ける力、本質を見極めていくプロセスが大事なんじゃないだろうか?

そこに必要なのは、自分で考えること、自分で答えを出していくこと。

そのためには答えを出す「質問」が重要なんじゃないか?
と思っていたときに飛び込んできた「魔法の質問」というワード。

魔法ってあやしくない?なんて思いもせず
どちらかというと「シンクロ!」」てきに申し込んでいた。

初めての東北の地「山形」は山々に囲まれていて神々しく感じた。
九州でも関西でもない土地から感じるエネルギーは
優しく見守るような、だけども しっかりとグラウディングされているようなどっしり感。

震災後、はじめて新幹線が開通したGWだったこともあり
新幹線内は人で溢れていたが、山形という土地は静かで落ち着いた空気を感じさせてくれた。

そうして3日間を山形で過ごしたのだが、その間にも余震は続いていた。震災を経験したことのないわたしが震災を感じたのは、その余震くらいだと言っていい。

今まで当たり前にあったことが
一瞬で失くなっていく。

わたしは、災害で当たり前の日常を失う経験はしたことはないが、幼少から病人の中で過ごしてきた分、当たり前の日常への想いは、早い時期から強い方だったと思うんだよね。

だから将来の夢は「あたたかな家族」とか「お母さんになって子どもを産むこと」など、所謂「普通」と言われることに憧れがあったと今なら思う。

彼と付き合うようになって、ふと「東北の人だから、震災経験者なんだ・・・」と思うことがあった。聞いたことも語ることもなかったが。

わたしの祖父母は戦争経験者。
けれど、戦争について語ることはほぼなく、どちらかと言えば、在り方に経験が滲み出ているような人たちだった。語らずとも伝わる、そんな生き様を最期まで見せてくれていた。

彼にはなぜかそんな祖父母と同じような雰囲気を感じていた。
だから、彼の感じてきた震災について改めて聞いてみようと思っていた、その当日だけ。

そうしたら
ラブレターとなって送られてきた。

わたしが文章の中でいちばん響いたのはここだった。

ーーーーー

僕たちは
生き残った。

ーーーーー

彼だって人だから
落ち込んだり、凹んだりすることはあるだろう。

でも
わたしが彼をとても尊敬しているのは
決してのまれないところ。前に進むことを考えるところ。

現状を【きちんと】見続けるところ。

暗闇に堕ちることもあるのだろうけど
彼は必ず光を見つけ出そうと動く。

その力強さに
わたしは最初に惹かれたのかもしれない。


震災の年に直感だけで山形に行ったわたしは
自分の閉塞感の中で光を見出したくて
東北というエネルギーを選んだのかもしれない。

 

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