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ラブレター2通目が送られてきて

わたしという女の子は、朝から晩まで遊ぶことしか考えていない子どもだった。よく聞く「お母さんの前ではいい子でいたい」「褒められたい」「認められたい」なんて記憶がない。

家の目の前には川、ほどよい自然と年の近い子ども達が近所にいたことで、毎日飽きることなく遊び続けられた。

今日は何して遊ぼうかなー?そんなことしか考えていなかった。

小学3年生くらいまでの成績が、今見たらめっちゃ笑えるんだけどオール「もう少し」。(←当時は「よい」「ふつう」「もう少し」の3段階評価。)それでよく平気だったな!って思うのだけど、当時は遊ぶこと以外は頭に入っていなかったし、両親からも勉強について何か言われた覚えもない。「雅美は元気だからいい」とよく言われていたことだけは覚えている。

当時のわたしには、誰から何を言われるか、どう思われているか、という概念がなかった。人と同じでも違っても「自分の感性でいい」しかなかった。

今もその辺りは変わっていないかもしれない。
わたしの原点。

毎日、毎日、駆け回ってはバタンキューで寝る世界。そんなわたしに変化が訪れ始めたのは、小学4年生あたりから。
「常識」、「協調」、「友達」、「男女」、「勉強」というものたちが、自分の身近にあるもの、必要なことかもしれないということを知り始めた。

そのようなことに初めて目が向くようになった年齢と言っていい。
つまり10歳くらいまでは放牧猿だったというワケw 

でも、生まれた時からわたしは病人に囲まれて育ったので、誰かを「大切に想う」ということだけはいつも心にあった。
「死」が日常に、現実の先にあったから。

病人がいる家庭は、団らんや家族旅行、何かを共有する時間は少ない。安心の時間も少ないと思う、うちの場合はそうだった。けれど、その少ない時間でどれだけ繋がり合うか、分かち合えるか・・・に互いは長けていく。

だから現状を不幸と感じることもなかった。
「同情するなら金をくれ」って、ドラマから流行ったセリフがあったけど、その意味はよく分かる。わたしは「同情するなら笑いをくれ!」だけどね。

ユーモア必須❥

放牧猿だったわたしを、いちいち楽しみ、微笑み、愛情をもって声をかけながら導いてくれた大人に出逢ったのが小学5年生の時。

それは担任の先生だった。

自分と同じ目線、言葉、共感を持って側で寄り添う他人の大人に出逢ったのは初めてで、その上、少しのヒントやきっかけをみんなに与えながら、何事にも興味を持つようにしてくれる先生だった。

それからのわたしは、学校が新しい「遊び」の世界となり、のめりこんでいくようにもなった。

オール「もう少し」だった成績は、あっという間にオール「良い」に変わる。 "授業を真剣に聞く" それだけで変化するのだから、面白いったらありゃしない!という感じ。

全てが新鮮な世界になると、友達との遊びも「どんな風に遊んだら、もっと仲良く、楽しくなるのか」に集中。そこから、いろんな遊びを「生み出す」ことに夢中になる。

遊びを創り出しては実践、みんなが楽しそうにしているところを見ながら、更に遊びのルールを変えていくことが、わたしの楽しみにもなった。

この経験は、そのままわたしの子育てに反映されている。
だから子ども達には10歳まで猿のように遊んでもらった。その姿をいちばんに楽しんだのは言うまでもなくわたし自身だ。 

猿、サイコー!!!

だが! 我が子たち「猿軍団」は、10歳を過ぎても好き勝手であーる。
好きなこと、興味のあること以外は見向きもしない。
この親にしてこの子あり!だよねぇ・・・何も言えねーw

そのような猿だったわたしも、中学生あたりから「女性」ということを意識せざるを得ない体の変化、周りの反応に「無邪気なわたし」ではいられなくなった。

と同時に、わたしの心の奥には「真っ白なうさぎちゃん」が住みはじめる。

「真っ白なうさぎちゃん」はあまり話さなかったけれど、見るからに楽しそうに草原を駆け巡ったり、ピョンピョン跳ねたりして遊び回っていた。

高校生あたりからは「真っ白なうさぎちゃん」の姿を見る機会はグンと減り、うさぎちゃんは姿を現さなくなった。たまに見つけても、動かずに遠くをじっと見つめるだけだった・・・

なんかねぇ、目が死んでるの。

そして「真っ白なうさぎちゃん」は、
わたしの中に現れることはなくなった。

10年以上が経ち、子育てに没頭していたある日の月と星がキレイな夜、
わたしの心の奥に「真っ白なうさぎちゃん」と「女の子」がふいに現れた!

3人の子ども達の無邪気な姿が、幼い頃の猿のようなわたしを呼び覚ましてくれたと今でも思っているけれど、再会に喜べたのは一時。

ある日ハタと気づく・・・んだよね、
「真っ白なうさぎちゃん」こそ、無邪気なわたしの姿だったと。

無邪気な子でいれなくなった中学生のわたしが、心にうさぎちゃんを生み出すことで自分自身を保っていたんだろうね。そうして「大切な自分」というものを守り、自分を見失わずに自分と繋がっていたかったのだと思う。

そこに気づいた頃から「真っ白なうさぎちゃん」と「女の子」はわたしの中で対話を始めるようになった。
まるで、「原点の無邪気なわたし」と「今のわたし」を統合するように。

その頃のわたしはアロマオイルにハマり始めるのだけど、それはアロマを使うことで、スーッと心の奥の深い自分に素直に戻れたから。それまで蓋をしていた過去の自分にも逢いにいく日々が始まった。

アロマは「原点の無邪気なわたし」と「それまでのわたし」を大きく受容するツールにもなってくれた。植物の、地球の力を借りることの素晴らしさを覚えたと言っていい。

そんな時間と子育ては、わたしのすべてを統合するプロセスとなり、まわりに支えられていること、生かされていることも教えてくれた。

子どもの魂って、再生して生まれきたもので古い魂だけど、生まれきた時は愛と柔軟さと新しさを更に持ち合わせている。(と思っている)

そこに触れられることは、やはり喜びでしかなくて。
わたしの元に来てくれてありがとう、しかない。

今のわたしは、「原点の無邪気なわたし」と「わたし」が離れてはいない。
離れることはもう2度とない。

「原点の無邪気なわたし」と「わたし」が分離した、何をしてもしっくりこないような魂の痛みの時間を体験したから、わたしは「自分の本音に素直に生きる」大切さを再度実感できたと思うし、そこに時間をかけて一生懸命取り組み、喜びに変え、それらを伝えていきたい、次世代まで繋がる貢献にしたい!と思えたから、「愛」を仕事にしたんだと思う。

恋愛ノウハウやテクニックとか、
どうでもよくて
わたしの恋愛相談は自分の本音に素直に生きることが前提。

それが
自分もパートナーも、2人の仲も、周りをも幸せにする。

 

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