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発達障害と嫉妬心

小学4年生頃だったろうか。
それまで毎年、イトコの家族と、じいちゃんばあちゃんと一緒に旅行をしていた。

イトコ家族は、男2人いて、兄のほうは俺の1学年上だった。兄とは気が合うし楽しかった。
その旅行のときくらいしか会わないので、とても楽しみにしていたし、いつも楽しかった。

そんな中、
どういう流れかしらないが、クラスメイトの男の家族も、一緒に行くことになった。親たちがテニスをするので、
それに混ざりたいみたいなことで、参入してきたのかもしれない。

そいつは、一応友達みたいな感じのやつではあったが、気が合うって感じもなかった。誰とでもすぐ仲良くできちゃうような、
俺とは人種の違うやつ。案の定、初対面であるはずなのに、イトコとすぐに楽しそうに話し始めた。
イトコも俺よりは圧倒的に社交性が高いんだろう、楽しそうにやっていた。

俺はと言えば、いやだったw
今までは二人だけで楽しんでいたのに、それを侵害されたような。
受け入れて三人で楽しめばいいじゃんて話だが、俺のこころはそんな風にできてはいなかった。

記憶が曖昧だが、宿泊施設周辺にある、お土産が買える割と、広めのスポットで子どもたちの自由時間て感じになった。
俺は、いくつかの理由をつけて、クラスメイトのそいつを「置いていく」状況を作り出そうとした。

イトコは俺の行動に対して、え? なんで? って感じだったが、俺は自分の感情が制御できずに、あっちいこう、とクラスメイトを置いていくように
必死に促した。

結局、俺の拙いなんの戦略も練られていない、クラスメイト離れ離れ作戦は失敗に終わり、「なんでどっかいっちゃうんだよー」と能天気な笑顔で合流するクラスメイトと三人で時間を共にすることになった。

あの経験は、
今でも覚えてる。三人のうち、きっと、俺しか覚えてないこと。
俺の意図なんて、二人はきっと知らない。

あの感情って、嫉妬心だよね?

で、それ以後の人生においても、
当然、この気持ちが消えてなくなる道理もなく、
仲良いはずの友達に、乱暴にぶつけてしまうこともあった気がする。

当然、みんなと仲良くするなんて俺はできないし、
そもそもどこかで、こんな思いをするなら、あんまり友達も欲しくないかも、みたいな発想にもなった気もする。

嫉妬しちゃう自分なんてぜんぜん好きじゃない。だから、あまり深く、他人と関わらないように生きてきたような・・・
自分から積極的に他人に入らないようにとか、逆に全く何も気にしてないフリして、多く関わろうとしてきたような。。。

で、なんでこんな大昔の話をしているのかと言えば、
おそらく今後の人生においても、この嫉妬心との向き合い方が、必要になりそうに思ったからだ。

俺は6月からREALITYというアプリを導入して配信をはじめた。
いくつかの人間と、密なコミュニケーションを取れるようになった。それは最近の俺の人生を思えば、とても素晴らしいことだし、新たな色彩が加わった感じがしていた。幸せだった。

でも同時に、
密な関係性がそこにあれば、表裏一体としてそこに嫉妬心が生じたりするのだ・・・てことを俺は完全に忘れていたw

細かい話はしたくない。
ぜんぜん大したことじゃないのかもしれないし
そうじゃないのかもしれない。おれにはわからない、見えない考えたくない。

すべては「慣れ」が解決すると信じてる。
1度目の衝撃も、2度目なら薄まる。なんだってそう。でもできることなら、似たような状況に自分を持っていきたくないと思った。

俺の得意技の一つは、忘れることだと思うw
なぜって過去にさんざん、嫉妬心に翻弄されてきたのに、
最近、密な人間関係を築いてなかったから、自分の中にある嫉妬心の存在をすっかり忘れてたわけで。。。

でも、昔と違うことと言えば、
そういう翻弄されそうな感情を、どのように鎮めるとか、そういう技術は俺の中にある。
そして、昔よりも幾分、冷静さを保ててる気もしないでもないし、
ここが重要だけれども、嫉妬を生み出している状況を「他者」のせいだとは、まったく思わないようになったこと。これは成長かと思う。

小学生の頃のエピソードで言えば、
クラスメイトの男への、クソ〜〜っという感情とか、
なんでイトコも一緒に、俺だけと行動しないんだって感情とか、

俺の歪な嫉妬心に目を向けるのではなく、他人に苛立ちを持ってた気がする。
今は違う。俺に問題がある。てか他人の行動は制御不能だし、俺に制御する権利はない。そこは自由なはずだ。
だから、俺が捉え方を変えたり、行動を変化させるしか手段はないんだ。

久しぶりの心への負荷だから
俺の心臓は少し驚いたかな?w もう平気だろ? 俺はやるべきことをやって俺がほしいものをすべて手にいれる。
それ以外考えない。

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