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発達障害と自分のペース

いきなり「ごはんですよ」と呼ばれるのは、昔から嫌いだった。
40歳を超えた最近でも同じで、昼とかその時点から、

何時頃にごはんにいくの?と必ず聞いていた。

じゃ、なんで嫌いかと言えば、
多分かんたんで、なにかに集中している状態を、
妨げられることに対して、強い不快感が生じるから?

でもこれって、
みんな似たようなもんじゃね?
なんて俺は、俺の感覚しか知らないから
思ったりするんだけど、意外とそうでもないみたいねw

ごはんですよ、と喰らっても、
あ、そうかそうか、
よし、ここまでにしとこ、みたいな感じで切り替えができるみたいな。

「急いで準備しなさい」とか「はやくしなさい」みたいなことを
言われるのも大嫌いだった。今も嫌いか、多分。

特に明確な理由も感じられないときは、
イライラが倍増した。

婆ちゃんがよく言っていた。
外に出るときに。

今からスタートでふつうに準備して間に合うよな?
みたいな。なんで急ぐ必要あるんだよ、急がせるんじゃねえよと。

子供の頃は自分の中にある不快感を
全く言語化できなかったけど、高校生くらいになると、
俺を急がせるんじゃねえみたいなキレ方をしていたように思う。
我ながらめんどくさいガキである。

よくまあ、
こんなやつが見捨てられず、
家族から嫌われずに、生かされてきたもんだと思う。

その理由は、
家族が人間的に出来てたことと、
俺が根本的にはクズ人間じゃないからだろうかとおもう。

さて、
詳細は伏せるが、
俺は今、過去に例のない人生の大変革が起きそうな予感を感じて生きている。

結婚、子供を持つこと、
今まで到底想像もしていなかったことが、
もしかしたら起きるかもしれない可能性の中に生きている。

未来は誰にもわからないが、
うまく行ったらいいな〜と希望を感じて生きている。

話を先に進めて、
俺が結婚して子供を持ったらどうなるんだろうと想像、空想する。

当然、自分のペースなんぞ乱されることだろう。
子供ってのは、そういう存在だ。
親の気を使うような、空気を読むような子供なんて変だし、
そんな子供にはなってほしくない。自分の感じるままに生きてほしいし、
その姿を可能な限り眺めていたい。

ときに、それは誤りだから絶対に違うと思ったら
注意して、しかって、へそのツボを押しちゃったりなんかするかもだが、
基本的には、自由にやってほしい。

で、そんな状況下で
俺は呼吸をして
ふつうに生きてられるのか問題ってのがあるけども、

今の結論としては、
まあ、なんとかなんじゃねって感じだ。関係ないやつにペースを乱されれば、
もう我慢できなくなるかもだが、
自分と血がつながった子供だろ。多目に見れるはず。

気分転換に外出したり、
あまりにノイズがきつかったら耳栓したりするなどして
対応策はあるはずだ。また、人は慣れる生き物だろう。
我慢ならない日々でも、1年も続けば、それなりに順応するのでは?

実際にどんな感覚に陥るのか、なんてのは
わからない。体感しないとわからない。
だから今のうちから、ネガティブなことを想像するなんてのは無意味だろう。

てか、
なんとなく最近気付いたが、、、、

好きな人になら
自分のペースくらい乱されても一向に構わんよw

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