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真っ赤なスカート、91歳の少女。


まえがき「劇作家の僕が祖母の『青春』について取材してみた」

ある日、祖母の家で押し入れの整理を手伝っていると、真っ赤なスカートが出てきた。
僕が「これ誰の?」と聞くと、彼女は照れくさそうに、でもうれしそうに「これ、私のお気に入りのスカート」とつぶやく。
そのとき、少女の目をした祖母を見て、僕はその青春時代に興味をもつのだった。

この文章は、劇作家である僕が今年91歳になった祖母に対して「青春」をテーマに取材したものです。
書き起こしをする際には、糸井重里さんの編集した『成りあがりー矢沢永吉激論集』を参考にしました。

短いですが、彼女のいわば「自伝」です。よろしければ、お付き合いください。

本編「追憶の鐘」

五つの時、「つばめ」に乗って、東京から大阪へ来たわ。お父さんがね、国鉄の設計技師だったの。淀川の橋を架けるために、引き抜かれてね。「どこに住もうか?」ってなった時、食べ物が美味しくて、空気も美味しいってことで明石にしたの。お父さんは、そこから通ってた。
戦争で食べ物のない時代だった。女の人は働かないのが普通だった。こっちに来て、妹が三人生まれてね、女ばっかり四人姉妹の一番上になった。きっと、お父さんは男の子がほしかったんだろうね。
「女でも何か職に就かないと」
って言ってた。
あの頃、女が職に就くなら、医者か教師だった。私は理数科が得意だったからね。女医になろうと思ったの。
 
兵庫高校の理数科のクラスは一つしかなかった。男ばっかり。
妹が生まれたからね、長女の私がお産の手伝いから何までしないといけなかった。お手伝いなんか雇えないし、親戚はみんな東京だしね。東京から明石まで、十二時間かかる時代よ。
勉強したいのにね、できないの。家事に追われて。家事が終わってから、夜中の二時までしてた。がんばったわ。でもね、まわりの男の子たちを見てたら、自信なくなってきた。
そんなときね、学校の廊下でポスター、見つけたの。こっちにも進駐軍が来ててね。アメリカの指導で日本の看護のレベルを上げよう、ってことだった。新制度の看護学校ができるって。
これだ、と思ったわけ。

今でいう神戸大学保健学科に入ったの。必死で勉強した。
「医者になれなくても、この世界でがんばるんだ!」
ってね。
通ったわ、国家試験。そしたらね、全国で十人だけ、国家試験に通った人を聖路加大学に、って話があった。聖路加って言ったら、日本で唯一の看護学校よ。他はみんな、三年制の専門だった。卒業生だったの、教務科の主任がね。お陰で推薦してもらえたわ。

トップで卒業して、東京、行ったわ。石炭で走る汽車だからね、夜の八時に神戸を出て、東京に着くのが八時よ、朝の。
聖路加の人たちはみんな英語もよくできる。記録だって、英語で書かないといけないしね。入院してるのは、大使館の人よ。アメリカ、ロシア、イギリス、フランス……。
「グッドモーニング」
って、部屋に入ってくの。キリスト教系の大学を出てる人が多いからね、お手の物よ。
六時半からチャペルに行ってお祈りするの、十五分。専属の牧師さんがいてね。聖歌、歌ったり。それから、食事をして、七時から仕事。聖路加病院で。
入院してる人の中には、井上靖もいてね、作家の。作家だからさ、細かく観察するわけよ、私たちを。
必死で勉強してがんばったわ。辞書をひきながら、記録書いてね。
そのとき、買ったの、赤いスカート。

二年勉強して、神戸へ戻ったわ。
「女の中で頑張ろう!」って。キリスト教の教えもあったからね。人間として、困ってる患者さんの手助けをしようと思った。医者にはできない、心のケアもね。
それまでの日本の医療は「病気」を対象にしたものだったから。でもね、人はそれぞれ、違うでしょ。性格も感性も。痛がり方だって違う。同じ病気でも人間はみんな違うんだから、その人の個性に合った治療をしないと。「病気をもった人」を対象にしないと。

神戸大学病院で改革をしなさい、って任されてね。一生懸命やったわ。看護部長が聖路加出身だったから、協力してくれたけど、それでも大変だった。

洗礼を受けたわ。クリスチャンになったの。人間として成長しないといけない、って思ってね。仕事をして、看護学校の講師をしながら、日曜は教会に通ったわ。牧師さんの説教を聞いてね。技術だけじゃだめ。人間をもっと知らないと……!

それでね、教会に通ってた、医者であるおじいちゃんと知り合って……結婚したのよ。

私の青春……だったかしら。こんなところで、いい?

あとがき「取材を終えて、これから」

祖母は一ヶ月ほど前に体調を崩し、自宅での生活に不安があるらしく、老人ホームに入ろうとしています。
僕はそれが心配で……。
しかし、昔のことを話す彼女の顔はいつも輝いていて、たいへんな状況の中、自らの手で道を切り開いてきたんだなぁと伝わってきます。
歳をとってからも、毎日の筋トレを欠かさず、町内会および習いごとの万葉集の会では持ち前のリーダーシップを発揮してまとめ役をつとめるなど、僕の尊敬する祖母です。
なので、これからも語ってくれた頃の想いを心に、赤いスカートをひるがえして、わが道を歩んでいってほしいと思います。

ああ、インタビューができて、よかった。

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