元不登校児の意地の学校生活
お疲れ様です。
画像は若干不良気味だった高校時代のものです😂ww
自身は小学校、中学校、高校時代不登校だったのですが今現在は通学制大学に通い学校生活を送っています。
小中高の計12年間ずっと不登校だった訳ではなく、小学校中学校では途中から学校に行けなくなり、高校では最初は行けなかったけれど最終的には通えるようになりました。
と言っても通えてなかった時期の方が断然長いです。。
今回は今に至るまでの意地でしかない学校エピソードを載せようかなという感じです。笑
限界大学生の生活を知りたい方は大学のところまでスクロールして見ていただければと思います。
学校に通えなかった自分にとっては学校に通う生活は夢のまた夢のような話。
学校に通えなくなってしまった主な原因は学校での人間関係。
暴力こそなかったけれど、沢山暴言を吐かれてロッカーに入れていた私物がなくなっていたりばい菌扱いされ触れてしまったら移るぞと距離を置かれたり。
そんな学校生活をずっと送っていたから学校はだるくて仕方なかったけれど、いざ学校に行けなくなり鬱々とした日々を過ごしていると、あんなに苦痛で仕方なかった学校も輝いて見えるというかなんというか。。。
なんとか学校に通いたかった中3の自分。
中学校3年生の時、担任の先生のご好意で数ヶ月に一回面談室にて担任の先生と会うことでたまに学校に通っていた。
当時一貫校に在籍していたのだが、付属の高等部に出席日数が足りず上がれなくなったことが正式に決まった。
当時ヤケクソになったのを鮮明に覚えている。
学校がより大っ嫌いになったけれど、今後はここの学園とは関わらない。それを実感したら急に寂しくなって最後の少しくらい学校に通いたいと思うようになった。
担任の先生と相談し、学費などの手続きも済ませて「職員室に寄って学年の先生に来た時、帰る時に伝える」という約束をして気が向いた時に図書室登校するようになった。
朝のHR〜帰りのHRの時間までいる事はなかったが、午前中に行ってちょっとだけ勉強をしてお昼を食べてまた少し勉強して飽きたら帰る。というような自由な日々を過ごしていた。
満足はできなかったけれど、最終的には卒業式に出ることもできたし自分にしては頑張れたと思う。
高校時代、人並みの青春を送りたかった。
なんだかんだで通信制の高校に進学。月1、2日ペースでスクーリングがあったが後頭部に上がれなくなったショックと通信制=落ちこぼれという世間的なイメージがまだ強かった当時、最初は全く通えなかったし学校にすら行けなかった。
その後はお偉い先生がたに支えて頂いて2年の時は欠席日数0、3年の時には通学コースに編入。1日半休んで担任の先生に心配され学校から電話が来たことがあるが極度の電話嫌いなので電話をとることはできなかった。。。苦笑
学校に通えていると調子に乗って通学制大学へ。
高3の当時、周りに猛反対されたけれど今の自分なら学校に通うことができるという淡い思いを胸に調子にのった自分は通学制大学に進学することを決意。
高校の指定校に偶然母校の大元の大学を発見。さらに偶然学びたい分野を学べる学科があり割と即決。
無事に受かって今は二度と関わらないと思っていた自分の母校の大元の大学に進学。
学校が好き嫌いとかではなく、学校に通うという行為自体がぶっちゃけキツい。
1日に授業を詰め込みすぎると疲れてしまうだろうと思い1日の授業数を少なめに入れている分週5で授業があるけれど、今は無事に問題なく?通えている。
ただ、ずっと学校に行けていなかった自分にとって覚悟はしていても大学に入った途端毎日学校に通うというのはかなり身体的にも精神的にも抉られてしまう。
周りからしたら『当たり前』のことでも学校に通うという行為自体ができなかった当時の自分からすると今の生活が理想すぎて夢を見ているのではないかとすら思えてくる。
もはや意地でしかない。
どれだけ学校に通えるようになっても、授業を受けれそうにない日が存在する。
そういう時はとりあえず出る気で遅刻確定だとしてもいつも通り学校に行く。
学校の敷地内に入って教室に向かう。教室にが入れそうならそのまま遅刻でも堂々と我が物顔で教室に入って授業を受ける。
教室の前まで行けてもやっぱ無理!と引き返すこともある。
そもそも教室の前まで行けない時もある。
そんな時は学校の図書館で課題をやったり、購買で買い物をしたり、自販機で飲み物買って学校内で飲むでもいいから学校の敷地内に入れた自分を褒める。
入れた上に意味のあることをしたと思い込んでより学校で過ごせた自分を褒める。
そうやって、授業は受けれずとも学校で過ごしたことにより、授業休んで学校に行きにくいと思ってしまうのを防ぐ。
そうやって今日も自分は学校で過ごし、学校生活を送る。