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私のために漬物を漬けてくれる人はもういない

ぬか床生活を始めた。

丁寧な暮らしらしさ溢れる響きだが、なんてことはない、ジップロックを用いて冷蔵庫で漬けるという大変お手軽なぬか床生活である。

『発酵食品は腸環境を整える』ということを聞き、慢性的な頑固に長年悩んできた身としては「じゃぁ、やってみようかな」と思い至った次第である。

ぬか床はこれで二度目の挑戦。

一度本格的なぬか床とやらに憧れ挑戦し、見事に腐らせてしまった過去のある私としては、冷蔵庫で作ることが出来、飽きたら冷凍して休むことも出来るという手軽さは魅力であふれている。


元々私は漬物が大好きな人間である。自分で漬けた漬物は非常に美味しい。

スーパーで買うそれとは雲泥の差だ。やはり漬物はお手製に限る。

「これなら続けられそうだ!」と思ったと同時に、ちょっと昔を思い出ししんみりとした気持ちにもなった。

「もう私のために漬物を漬けてくれる人はいないのか…」


東北出身ということもあってだろうか。

漬物は常に食卓に上がる食べ物であった。

漬物は当たり前のようにそこにいたし、食卓にあって当たり前だったし、それが手作りであるのも当たり前であった。

祖母はよく麹を用いた漬物を漬けてくれた。

素人には決して思い切れないであろう量のキュウリをどどんと大量に仕入れ、その先端部分を切り落とし、洗濯たらいのような大きな入れ物に互い違いになるように並べていき、塩を振り、麹とザラメを振りかけ、使い込んだ木の蓋を乗せ、年季の入った漬物石を乗せる。

幼い頃の記憶なのでかなり曖昧ではあるが、確かこんな工程だったはずだ。

幼い頃には漬物を漬けるお手伝いをよくさせてもらっていたのだが、それがとても楽しかったことを覚えている。

母からは「かえって面倒だから」と許可されなさそうなお手伝いでも、祖母の家でなら出来るということがとても嬉しかった。

今思えば、祖母と過ごしたこの時間のおかげで「料理は楽しいもの」という気持ちが育ったように思う。小さい頃から包丁を握ることを許してくれ、どんなに不格好になっても怒ったりせず、好きなようにやらせてくれた祖母には感謝している。

余談ではあるが、親になった今の私はというと、やはり母側の気持ちになってしまっている。子どもにお手伝いをさせるというのは忍耐力が必要だ。

時間的にも精神的にもゆとりがないと快くお願いは出来ない。

「かえって手間だからいらない」と断っていた母の気持ちがめちゃくちゃにわかる。

やはり、祖母の存在は私にとって『好きなことに自由に挑戦させてくれる』大変ありがたい存在だったように思う。


そんな祖母が亡くなってもう久しい。

件のきゅうりの漬物、たくわん、ニシン漬け、キャベツの漬物、赤カブの漬物、なすの漬物、毎日のように食卓に並んでいた手作りの漬物。

私が大学で一人暮らしを始めた際には、わざわざクール便で送ってきてくれた祖母の漬物。

もう食べることは二度とない。


そしてもう一人、私に漬物を作ってくれた人がいた。

父である。

祖母が亡くなった後、それまで以上に漬物作りへ精を出し始めた父。

祖母の漬物石も用いて、ニシン漬けやビール漬けや辛子漬けを漬けていた。

父の作る漬物は、祖母のそれとは違ったけど、素直に美味しいと思った。

「美味しいじゃん」と帰省した際に食べた漬物の感想を父へ伝えたらすごく嬉しそうな顔をしていた。

「んだべ?お父さんうまいんだ。コツがあってよ…」

自己肯定感の塊であった父、ひとたび褒めると聞いてもないオリジナルの工夫を延々と語りだすので褒めるのも適度にであったが、父の漬物は大胆で工夫がたくさんで面白いと感じていた。

そんな父も4年前に亡くなった。

もう、たくわん用の大根を軒先で干している風景を見ることもない。


そこにあるのが当たり前だったものも、いつしか無くなってしまい、気づけば無いのが当たり前になってしまう。

無くなってから「貴重なものだったんだ」と気づくのは何なんだろう。

なんでもっと早くに気づけないんだろう。

毎回感じてしまう。

でも、例えそのもの自体がもう存在しなくなってしまったとしても、記憶はちゃんと残っている。

もう私のために漬物を漬けてくれる人はいないけど、自分で漬けた漬物を食べるたびに「こんなに手間のかかるものをいつも欠かさず作ってくれてありがとう」という気持ちになる。これを直接ちゃんと伝えられなかったのが本当に悔しいけど。

でも、出来ることならもう一度食べたい。それが本音。叶わぬのがわかっている夢である。


まさか、ぬか床生活を始めたことで父と祖母の愛情を感じることになるとは思いもしなかった。それだけ、漬物のある風景は私の幼い頃の当たり前だったのだろう。

私、愛されてたんだな~なんてしみじみ思いながら、自分の漬けた漬物をボリボリと食べる日々である。


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