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宿題の存在が恨めしい。

我が家には今年新一年生になった娘がいる。

と言っても、まだ授業すらしていない。

授業すらしていないのに。

先日の登校日に、山ほど宿題を持ち帰ってきた。

既に学びをスタートさせている小学2年生以上の学生に比べたら少ないとは思う。

それでも私は中々驚愕した。


プリント国語・算数各12枚分(両面6枚)。

ドリル国語24ページ分、算数13ページ分。

国語の教科書の音読。

あさがおを育てる、並びに観察日記。

その他、指定の動画を見たり、音楽を聴いたり、ストレッチをする等の学習指導もあった。

それを次の提出日までに…と考えると、中々の量である。


とりあえず言わせてくれ。

多いって(;O;)!!!!

まだ授業すらしてないのよ、うちの子っ!!!


という嘆きは一旦置いておき。

この宿題が出る前にも宿題が二度ほど出ており、既にそれらに関しては前回の登校日に提出している。

そして、その日のうちに丸つけがされて戻ってきたわけだが…、戻されたプリントを見て「これが小学校か…」という洗礼を親の私の方が受けてしまった。

ひらがなの50音を書くという宿題に対し、ガッツリ赤が入れられていたのである。乱れている字の横に「このように書きなさい」という見本と言うべき赤が実に 18文字分 書かれていた。

それを見て、私はこう感じてしまった。

まだ習ってもいないのに…いきなりこの対応は厳しくないかい…?と。

せっかく全部提出出来たのに、丸が付けられていなかったことに対し当の娘もションボリ気味であった。


娘は、割と物覚えが早い方だったこともあり、幼稚園時代からドリルやワークの類は進めてきた方だと思う。先取り教育と胸を張って言えるほどのものではないが、それでも小学校の学びはスムーズに進められるだけの下地は出来ていると感じる。

しかし、とは言ってもそこは未就学児の家庭学習である。

「机に向かう習慣がつけば万々歳」くらいの気持ちでいたし、この時期に自信を損なうようなことはしちゃいけないと感じていたので、字の汚さに関してはそこまで口うるさく言ってこなかった。

書き順や鉛筆の持ち方が間違っていなければ、とりあえずオッケー。あとは小学校に行ってから先生と学んでもらおう、と。

(実際、あまりキレイな字ではないと思う)


まだ学校で学んでもいない内容のプリントを全てこなして提出しただけでも親バカかもしれないが「頑張ったね」の対象であったのだが、小学校はなるほど「頑張る+α」が必要な場所なのだと改めて示されたような気持ちになり、この取り組みじゃダメなのか…、とその赤がビッチリ入れられたプリントを見て感じた。


そんな出来事があったので、今取り組んでいる宿題に対して「ゆっくりでいいからもう少しキレイに書いた方がいいんじゃない?」「見本に書いてあるのを見ながら丁寧に書いてみようか」などと最近は娘へ言うようになってしまったわけなのだが…

親子という関係が「教える人・学ぶ人」という構図になってしまうと、中々どうしてスムーズにいかない。

「せっかくやったのに」と娘はムッとするし、反発されると「娘のためを思って言っているのに」と私もムッとしてしまう。

特に『字が汚い』ということへの指摘は相手にとって失礼な部類の指摘だと思うので、娘とはいえ伝え方にも気を使ってしまう。

計算が違うことへの指摘の方がよっぽど気楽だ。


その『先生役』を任されているという認識が出来てからというもの、どうにもこうにも生活リズムがうまくいかなくなってしまった。

今までだったらテレビやタブレットをいくらやろうが気にならなかったのに、「宿題まだこんなにあるよ?」「もっと丁寧にやらないとダメじゃない?」という気持ちが出てしまい快くその環境を受け入れられなくなってしまっている。

「テレビの前に宿題やろう!」なんて言いたくもなる。(事実まだたくさん残っている…)

「宿題やりなさい!」と言われることほどやる気を失う言葉はないのに、ちゃんとやらなきゃいけないような気がして私の方がドキドキしてしまう。

恐らく、やらなかったからといって怒られるようなものではないのだと思うのだけれども、『休校中に進めておいてください』というスタンスを感じるがゆえに、『これをやらなかったら乗り遅れてしまうのか?』という不安も感じてしまう。


そして、当の娘はというと、『ただひらがなを書く』『ただ数を数える』という問題がつまらないらしく、ものすごーーーく面倒くさいらしい。

(これが先取りをしてしまった弊害というやつか)


つまり、何が言いたいのかと言うと…

母親が先生役って言うのは全く持ってうまくいかないね、ということである。

「字はキレイに書きましょう」「こういう風に書きましょう」

というのは先生から対面で習ってこそ、集団で一緒に取り組んでこそ、すんなり身に入ることなのだろうと思う。

『つまんないから面倒くさい』と思ってしまう宿題に対し、どのようにモチベーションを上げればよいのか。『つまらないからチャチャッと終わらせたい』と思う宿題に対し、如何に丁寧に仕上げる必要性を伝えるのか。

そんなことを考えている最中にも、年中の息子から「おーくんもお勉強やりたい!」などというリクエストが来てしまい、二人同時進行でやらざるを得ない状況。

今までだったらそれも出来ていたけど、しっかり娘の取り組む様子を見なければと思う現状においては、息子の学びと並行しては難しい…


適当にやっても良いのかもしれないが、赤を入れられたことに娘も少なからずションボリしていたがゆえに、適当にやってまた丸もなく戻されてしまう可能性を考えるとそれも出来ない。

(彼女は『失敗したくない性格』なのだ。多分これが何度も続くと傷つくと思う)


なーんてことを日々考えていたら、もう、つっかれちゃって。

まだ『学校での学びのベース』が出来ていない新一年生相手がゆえに、余計つっかれちゃって。対応が難しすぎる…

小学校が恋しい…

先生…、私は先生から学ばせたいです…


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