娘のフォローはしても口出しはしない。
娘の誇るべき性格は『ぶれない』ところだと思う。
自分がいいと思ったらいい。人と同じことであるよりも「自分がどう思うか」で動く節がある。
それゆえ、友達とベッタリ過ごすことよりも、自分がやりたいことを重きにおいて動きがちであるので、いわゆる女子らしい交友関係は築けていないようにも感じるのだが…
それにもきっとメリットはあるはずなので、私から娘に対しあれこれ言わないでおこうと思う。
さて、話は先日noteに書いた『宿題にめいっぱい赤を入れられた』件である。
ここまで訂正する!??と驚くくらい真っ赤になったドリルを持ち帰ってきた娘に、娘本人よりも親の私の方がショックを受けてしまったわけである。
あんなに一生懸命頑張ったのにこんなに訂正されて…。悲しんでないかな、勉強が嫌にならないかな、書くこと嫌いにならないかな…。
ついネガティブな方向にばかり心配してしまっていたのだが…
娘、強かった。
その後、全く気にせず学校での勉強を楽しんでいる模様。
そうか、ここは気にしないポイントだったか!!
人前に出ることや知らない場所に対しては非常に警戒心を抱くけど、全てに対して繊細というわけでもない。
例えば、私が何か必要なものを渡し忘れたとしても、「別になんとかなったよ」「間違いは誰にでもある」と私に諭すような子なのだ。
(例:靴を忘れる・水泳帽を忘れる。←うっかり者な母でごめん…)
今回の字に関してはどうなるか…と気にかけていたが、「あぁ、直されたか」くらいの受け取り方だったようだ。
失敗することを極端に嫌う娘なので今回のことを引きずることを非常に心配していたのだが、対私ではないのが良かったのか、人前で間違ったわけではないのが良かったのか。
無論「花まるが欲しかったな」と残念がってはいたが、それを引きずるようなことはなかった。
娘、私が思っているよりもずっと強いのかもしれない。
その後、娘は学校で書き方の授業を受けているようだ。
持ち帰ったノートを開いて、心がじんわり暖かくなった。
「見て!三重丸だよ!!!上手に書けたって!!」
嬉しそうに話す娘を見て、私まで嬉しさを感じた。
真っ赤なドリルは確かに対応としては厳しかったかもしれない。
でも、だからこそ、三重丸の嬉しさをより一層感じることが出来ているのかもしれないと思うと、意味のある出来事だったようにも感じる。
先生のその後の対応を見ていても、特段厳しい先生と言う印象を受けることもなく、娘の話しぶりを聞く限り面白くて楽しい先生のようである。恐らく先日の真っ赤に返却されたドリルは『先生が熱心であるがゆえのお直し』だったのだと感じる。
熱意がなければ、一人一人あそこまで丁寧には添削出来ないだろう。
娘も先生のことは好きなようなので、ホッとしている。
今回の出来事も、きっと娘なら自分のプラスにしていけるはず。そう感じた。
しかし、今回の件でこうも感じた。
これがもし、私が「先生厳しすぎるよね」「先生ひどくない??」などと娘の前で口にしていたらどうだっただろう、と。
「ママが酷いと言っていた」という先入観で先生のことを見てしまっていたかもしれない。
親として色々心配になることはあるけど、心配をしすぎるがあまり口出しをしすぎるようなことはしないようにしようと改めて感じる出来事となった。
娘のフォローはする。
でも口出しはしない。
ついポロッと口を出したくなるときもあるし、そういう場面の方が多い気もするのだが…、自立に向かっていく娘に対するこれからの私の目標、指針としていきたい。
親の言霊は親が思うよりきっと強いはずだから。
これからの小学校生活において、この点は強く意識していきたいと思う。
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