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「ママのご飯が好き」にプレッシャーを感じてしまうときがある

私は恐らく、料理は不得意ではないと思う。

かといって、作るのが好きかと問われて「はいっ!!」と元気よく答えられるほどではない。得意=好き、では決してない。

日々のご飯作りに関しては面倒で面倒で誰かに代わってもらえるなら代わって欲しいと毎日思っている。

一方、クリスマスやおせちといったイベントごとの料理に関しては、達成感を味わえることもあり楽しんでやっているのもまた事実。そういった料理に関してはやりたくてやっている。

割と得意なものも、「自分がやりたいかどうか」という気持ちを全無視で、ただただ毎日こなさなければならない『義務』になると途端に面倒でやりたくなくなるのが人(私)の常なのだ。


そんな私の気持ちに反して、子ども達からは「ママのご飯が一番美味しい」というとても嬉しい言葉を日々貰っている。

好き嫌いの多かった娘も、給食のおかげなのか最近では野菜も残さず食べるようになり、そういう嬉しさも日々噛みしめている。

非常に嬉しい。これは単純にすごーーく嬉しい。

「美味しい」と言ってもらえるから、「ママのご飯が一番好き」と言ってもらえるから、毎日頑張れているというところもある。


ある日。

息子がこう口にした。

「パパはお仕事をする船長で、しーちゃんはお勉強をする船長で、おーくんは遊びの船長で、ママはご飯を作る船長ね!」

(※息子は「せんちょう」を一番偉い人だと思っているので、「隊長」というニュアンスで受け止めてもらえると嬉しい)

なるほど、息子の中では私の最たる仕事は『料理を作ること』だと感じているのだろう。


そして今日の朝。

娘が私の起床時間よりも早く目が覚めたようで、一人で着替えをし、暇を持て余し、私を起こしに来たわけである。

「ママ、そろそろ起きようよ~。お腹減っちゃったよ~。」

ちなみに時間は6時15分。私はいつもならあと5分ほど寝られるはずだった。

自発的に目覚めるのと起こされて目覚めるのとではスッキリ感が違うのは何故なんだぜ。

その後、しぶしぶ起きて台所に向かったところ、

「あ~よかった、これでや~っとご飯が食べられる」

と娘が口にしたところで、私のモヤモヤした気持ちがピークに達した。

「ママはご飯を作るためだけにいるんですか」


子どもが一人でご飯を用意して食べることはまだ難しいだろうし、子を生かすためにも私がご飯を用意しなければならないのは必然的なことである。

男性が料理を担当する家もあるだろう。しかし、わが家においては基本私の仕事。そういう役割でわが家は運営されている。

私だってわかってる。

ご飯作りもうしない!!なんて言っているわけではない。


でも。

もし私がご飯を作らなかったら、もう私に価値はないのかな。

私はご飯を作るためだけに存在してるのかな。

たまにそんな風に感じてしまうときがある。

「ママはご飯屋さん」「ママはご飯を作る係」と私の役割が『ご飯を作ること』に固定されていく度になんだかモヤモヤしてしまうのは、私の心が狭いからなのだろうか。

子ども達はそんな風に思って言っているわけではないのはもちろんわかっている。単純に私の作るご飯が好きなのだろう。美味しいという気持ちの表れで口にしていることは充分にわかっている。

でもね。

なんだかプレッシャーに感じるときがあるんだなぁ…

私の作ったご飯を食べて「美味しい」と笑顔になる子供たちを見られるのはすごくすごく幸せ。でも、何故だかそういう気持ちになるときもあるんだなぁ…

中々どうして、母親というやつは複雑な生きもののようです。


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