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字をキレイに書かなければいけない理由を子どもに上手く説明できない

我が家には今年小学生になった娘がいる。

コロナ休校により、学校で一度も授業を受けてもないうちから大量に宿題が出され、その上一回目に提出した宿題には赤がめいっぱい入れられてしまったことで次の宿題は丁寧に取り組むことを余儀なくされてしまい、母親が教える側になってしまったことで取り組みがスムーズにいかなくなり困惑している、というような内容を以前noteに記録した。

存在が恨めしい、と思いながらどうにかこなした娘の宿題。

前回よりも丁寧に書くように伝えたし、娘も消しゴムで何度も消しながら時間をかけ一生懸命前より上手に書いたと思う。

しかしながら。

小学校という存在は私が思っていた以上にハードな場所だったようだ。

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『ま』に恨みでもあるのかな、って思っちゃったわよ。

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無論『ま』だけではなく、このドリルで宿題として出された書き取り38文字中、36文字が同様に真っ赤に訂正されて返ってきた。それら全てを消しゴムで消し、書き直して再提出が必要とのことだった。

尚、写真は赤字部分を消しゴムで消し、書き直した後のものである。

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一枚だけ直す前の写真をスマホで撮っていたのでこちらも掲載する。

『ま』はともかく、『こ』と『き』に関しては正直何がダメなのか私にはわからなかった。

(38文字中『ふ』『へ』だけ無傷だった。逆に不思議)

厳しい…とは思ったけど、それが学校というものなのだろう。

最初が肝心という先生の気持ちはわかるし、むしろ全てのドリルをこんなに丁寧に添削することのほうが大変なことだと感じるので、とても熱心に対応してくれているとも思う。

でも…厳しい…と親の私ですら感じた。


今回の宿題のように『字をキレイに』という授業を今後受けることになるのであれば、子どもにも字をキレイに書く大切さを理解してもらわねば、「なんでこんなことしなきゃいけないの?なんで丸をもらえないの?」と毎回思うことになるだろう。

それゆえ、字をキレイに書かなければならない理由を私なりに一生懸命考えてみたのだが、情けないことに、子どもを納得させられるような良い解答が見つけられなかったのである。


・キレイな字が書けるとかっこいい

・自信に繋がる

・大人になってから困らない

・恥ずかしい思いをしない


かっこいいとか、恥ずかしくないとか。

なんというか、いずれも『精神論』だな、と思ってしまったのだ。


娘にも「きれいな字だとかっこいいよ」と伝えてみたのだが「別にそこにカッコよさは求めていない」と言われてしまい、その後なんと答えればいいのかわからなくなってしまった。

娘は、勉強をしなければいけない理由については『将来なりたい夢を叶えるため』と彼女なりに幼いなりに理解しているようだ。(自分でこう言っていた)

しかし、なんで字をうまく書かなきゃいけないの?ということについてはまだ納得していないようにも感じる。

なんとなくは『きれいな方がいい』というのはわかるのだと思う。でも、見本と少しでもズレただけで真っ赤に正されてしまう、という点については納得していないように思う。一生懸命丁寧に書いたし、それなりにキレイに書けたし読めるのに、と思っていると思う。

気持ちを育てる側である親の私までも「丁寧に書いてたし前よりもきれいに書けてたし読めるのにな」と思ってしまうのだから、迷いが晴れない。


かく言う私自身、字にはコンプレックスがあり、キレイに書けた方がいいとは心底思っている。

整った字の方を見ると、ステキだな、と心から思う。

出来ることなら子ども達の字はキレイであってほしいとも思っているのだが、でも同時に、絶対に見本と同じじゃなきゃいけない理由もない気もしてしまう。なぜにこうも『みんな同じ』を求めるんだろう…と。

丁寧に心を込めて書いた字は、教科書に載っているような字じゃなくとも気持ちは伝わるのではないかと。

無論、この思いは屁理屈であるだろうし、雑な汚い字を推奨しているというわけではないが、一寸の狂い無く書くことを求められ、ちょっとズレただけで訂正されてしまう学びに対して、どのように子どものモチベーションをあげていけばよいのかに関してはわからなくなってしまっている。


今回は異例の『コロナによる長期休校』を挟んだがゆえに、先生から直接教わることもないまま一方的に訂正されてしまったことで余計にショックが大きいようにも感じている。

対面しながら少しずつ教わっていたらこんな38文字中36文字が真っ赤になって返ってくるなんてことはなかったと思うからだ。

まだ習ってもいないものを宿題として出され、それを親子で共に時間をかけ一生懸命やった結果が真っ赤だったからこそ、ショックな気持ちを親子共に感じているのだろう。


これで「学校の勉強はつまらない」と娘に思われてしまったら嫌だな、というのを私は一番心配している。

せっかく娘は学ぶことに意欲を持ってこれまで過ごしてきたのになぁ、と。


しかし、当の娘はと言うとショックは受けつつも「習字習ってみようかな」と口にしていたりして(同じクラスで一つも訂正されなかった子が習字をやっているらしい)、意外と私が思っているよりもたくましいのかもしれないとも感じていたりする。

彼女の気持ちがプラスに向いてくれたらよいのだが…。


分散登校ではあるがようやく学校が再開され、先生や友達と一緒に学ぶ環境が整いつつある。

学校という場で「字をキレイに書きたい」「もっと上手になりたい」という気持ちが育ってくれることを願うばかりである。

私は私で、娘の気持ちを少しでもプラスに持っていけるよう気を配っていきたい。

習字…ホントに習ってみたいのなら体験だけでも行ってみようかな。娘に今一度確認してみよう。


と、ここまで書いておいてなんだが。

私の正直な気持ちを最後に書くならば。

習ってもないものを一生懸命書いたんだから丸つけてくれたっていいじゃん…('A`)

というのが私の本音過ぎる本音である。


↓↓続編書きました↓↓


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