自由時間はあるけど自由はない
休校・休園生活が終わり、日常が戻ってきてから2ヶ月ほど経過した。
休校が明けてすぐの頃は、「子どもが幼稚園と学校に行ってくれるって素晴らしい。生活に芯があるって素晴らしい。自分の時間があるって素晴らしい!」と生活リズムが整ったことに感激していた私なのだが。
この生活に慣れるにつれ、段々と疲れてくるようになった。
自分があんなに望んでいた一人で過ごす時間がこんなにたくさんあるのに、何に疲れているのだろう。
大して疲れるようなこともしていないはずなのに、なんでこんなに毎日気持ちがどんよりしているんだろう。
体力的に疲れているというより、得体のしれない何者かに取り憑かれているような、気持ちが蝕まれているような感覚。
疲れるようなことは何もしてないのに。
色々考えているうちに、一つの結論に至った。
自由時間はあるけど、自由がないんだな。
「あれ?私の望んでいた自分の時間ってこんな時間だったんだっけ…?」
そう感じてしまうからこそ、何もしてないからこそ疲れているのだと悟った。
幸いと言っていいのか、私は今現在外で仕事をしているわけではないので、不特定多数の人と会う機会はほとんどない。
あってスーパーくらいだろうか。
なんとなく、あまり出かけない方がいいような気がして基本は家で過ごしている。
コロナが流行る前は定期的にママ友とランチやら飲み会やらをしていたけど、今はそれもほとんどなくなった。
感染リスクだけを見たら、相当安全地帯にいる人間だと思う。
働いている方々を思うと、家にずっといられるだけマシなのではないかとも感じる。
でも…今の生活は未就園児を育てていたときみたい。
日中の会話がほとんどない。
もしかしたら未就園児の頃よりも会話がないかもしれない。大人との会話だけじゃなく子どもとすら会話していないのだから。
突然、誰も知らない場所に放り出されたような感覚に陥る。
今まであったはずの繋がりはどこに行っちゃったんだろう。
自粛期間中、子ども達が家にいてギャーギャー騒いでいたときには気づかなかったけど、私って今こんなに孤独だったのか。
あんなに会っていた友達にも会わない日々が続き、あんなにびっしりだった手帳もスカスカで、一人の時間がありすぎて、なんだか無性に寂しさを感じてしまった。
それでも、コロナがなかったら、一人で過ごしていたとしてもあれこれ出かけていたように思う。
週の半分くらいは出かけて、週の半分は家にいて。
そもそも、コロナがなかったら幼稚園の行事や集まりも今まで通り多くあったわけで、幼稚園ママ特有の忙しさはあったはずだ。
不思議なものでずっと家にいて時間があり余り過ぎると、逆に何をしてよいのかわからなくなる。何をするにも気力がわかない。
忙しい日々の中で時間を工面するからこそ、時間を無駄にしまいと精力的に動けていたんだなと痛感する。
こんなに時間は、時間だけはたくさんあるのに。
子ども達が帰ってくると、『ママ』としての私が復活する。
子ども達の話を聞いて、子ども達からママママ声をかけられて、ご飯作ったり遊んだりして。
不思議なもので、そんな時間に今は「私生きてるわ。必要とされてるわ。」と実感することが出来ている。ベッタリ過ごし過ぎていたときにはその時間に辟易していたはずなのに、今はちょっと助けられていたりする。
子ども達の顔を見ているだけで、なんだか無性にホッとする。
あんなに望んでいた一人時間なのに、あんなに望んでいた自由時間なのに。
目先の楽しみもなく、自由にあれこれ大手を振って出かけられるわけでもなく、友達との交流も前ほど盛んに出来るわけでもなく。
自由な時間はたっぷりあるけど、自由がない。
どうにか平気なふりして過ごしてきたけど、やっぱり疲れたな。
ふとそんなことを思った月末。
8月から幼稚園も夏休みで、小学校もその少し後に夏休みに入る。例年よりも相当短い夏休みだけれども。
そんな夏休みを子どもたちと過ごしたら、ちょっとは気持ち変わるだろうか。
余計に疲れるだけだろうか。←
会いたいときに会いたい人に気兼ねなく会いに行ける。
行きたい場所にも周りを気にすることなく行ける。
自分の気持ちに素直に動ける。
そんなワクワクする日々が戻ってきてほしい。
自由な時間を、自由に過ごしたい。
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