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母親は完璧じゃなくていい

頼れる親が近くにいるわけでもなく、夫の帰宅が早いわけでもなく。

私は土日を除き、常に一人で育児をしていた。

自分一人に対して幼い子どもが二人。

その中でも、娘2歳、息子0歳の時期が群を抜いて何が何だかわからぬ慌ただしさだったように思う。

己を分身させるわけにもいかず(出来ることならしたかったが)、どうやっても物理的に子どもの対応が不可能なときが多々あった。どう考えても手が足りないときが。

『上の子を優先するべし』

そう色んな人に言われていたし、実際子ども達を見ていても姉を優先して対応した方が物事がスムーズにいく(全然スムーズじゃないけど)と肌で感じていたので、息子には申し訳ないがしばらく泣かせたままにして娘の対応を優先してするときが多々あった。

息子の授乳は基本「ながら授乳」だったし、授乳中も常に2歳の娘に注意を払っていたように思う。


そんな出来事を記録したブログに対して、

「おーくんが可哀想」「男の子は愛情がたくさん必要なんだから抱っこをめいっぱいしてあげてください」「しーちゃんとの差がありすぎです」「いつまで一人目優先にするつもりですか?」

というようなコメントが時折ついたわけたが、今だから言うがその都度しっかりと傷ついていたし、正直私はこう思っていた。

「あなたは子ども一人じゃないの、一人と二人は全然違うんだよ…」


子どもが複数いるからエライとかすごいとか、そういうことを言いたいわけじゃない。

子どもの人数に関わらず、親という存在はすごい。

自分がすごいと言いたいわけじゃ決してない。


でも、実際一人の育児と二人の育児は、慌ただしさが全然違った。

気にかける対象が一人から二人になったことで、「自分の体が一つしかないのが恨めしい!!」と本気で思う場面が増したように思う。

ゆえに、可哀想とか、泣かせすぎとか、抱っこしてあげてとか、姉との差がありすぎとか言われるたび、

物理的に無理なのに、泣かせておく以外に方法は無かったのに、私だって抱っこしたいよ、私だって赤ちゃん期を堪能したいよ、

と思っていた。

1歳11ヶ月差で産んだ自分の責任なのだろうか、1歳11ヶ月差に好きで産んだんだからもっと頑張らなければならなかったのだろうか。

でも、どうやったって一人じゃ対応しきれないことなんて山ほどあった。

『頑張る』だけじゃどうしようもないことがたくさんあった。


伝えてきた方は、アドバイスとして言ったつもりだったのかもしれない。

でも、自分の育児を責められているように感じてショックだった。

私なりに一生懸命やってるのに、誰にも頼れない中一生懸命やってるのに、私はこれ以上何をすればいいの??

どうやれば何も言われない育児になるの?正解は何なの??


話は変わるが。

今Twitterで、ポテサラにまつわる話が話題となっているようだ。

これを読んで、言われたママさんの気持ちを思い胸が痛くなった。

どんなにショックだっただろうと。

「あなたは至らない母親です」と言われた気持ちになったのではないかと思うと本当に辛い。


他者からの完璧な母親像の押しつけは辛い。

その言葉を投げかけられた側は、ずっとその言葉が気になり、そしてずっと記憶に残る。

自分なりに精いっぱいやっていても、他者から言われたそのたった一言で僅かながらに積み重ねてきた自信など一瞬で崩れ去る。

言葉って、そんな軽いものじゃない。


ちなみに、4年経った今だからわかる。

『そんなに泣かせて可哀想』と言われた息子、そのときの記憶ゼロ。

「あのときはお姉ちゃんばっかり構ってて僕はショックだった」なんて言ってきたりしない。なぜなら全く記憶にないから。

大丈夫、生かしているだけで私は充分頑張ってた。間違えてなんかなかった。

私、よくやってたよ!


ポテサラだって、いいじゃない。

ママとスーパーでお買い物をした楽しい記憶は残ったとしても、ポテサラを作ってくれなかった記憶なんて残らないと思う。

私も時折疲れ度MAXなときにはお惣菜を利用したりしているが、我が子達も恐らく私がお惣菜を出した記憶なんてそうそう残らないと思う。

それより、私が作ったハンバーグとかの記憶が残ると思うんだな。

母親は完璧じゃなくていい。


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