母国語で異なる思考
英語と日本語の間を行ったり来たりしていると、いろんな発見があって面白い。
仕事中に、フィリピンから来た計算を間違えているINVOICEを見て、「ここ訂正してって言ったら、ここも間違えている」と同僚がぼやいているのを聞いてあることを思い出した。
日本語や中国語の方が、計算するときには有利に処理できる、ということだった。そんな記事がないか、検索してみる見つかった。そうそう、私が思い出したかったのはこれこれ。
思い出すきっかけとなった記事だったけど、さらに興味深いことを発見した。日本語、英語、中国語、韓国語、それぞれの言語においての感じる世界の違い。
以前、仕事をするとき、英語的な思考だと、スムーズにスピーディに事が運ぶと感じたことがあった。日本語で指示される内容はとってもぼんやりしている、と思ったことがあった。少ない言葉の中に、いっぱい読み取らないといけない内容が含まれている。(それは対人関係にもよるけど)でも、英語を自分なりに勉強するようになって、仕事をするとき、指示された内容を誰が、何を、どうするのか、それは誰の役割で、と、内容を明確に確認するようになったら、仕事がとてもしやすいと思った。
ビジネスの場面では英語的思考はとても有効だと思った。
そんなことを感じたことがあって、そのウェブ記事を読んだとき、日本語の視点の広がりが見えた。
ピシッと合理的に物事を進めたいときは英語的思考。ゆったり穏やかに一緒に感じていることを分かち合いたいときは(リラックスモード)日本語的思考。
日本語しか知らなかったら、その日本語だけの世界は当たり前で、見えないものがいっぱいある。ほかの言語知るからこそ見える日本語の奥深さ、思考の仕方。
改めて、日本語ネイティブで良かったのかもしれない、いや、よかったと発見できた今日もいい日。
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