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なりたい自分像2023.4.11
決して出しゃばらず、静かにそっと見守る。己の考えはしっかり持っているけど、それを絶対に人に無理強いはしない。自分が、静かに、なりたい自分に変わっていく努力を日々淡々としていれば、必要であれば必要な人につながる。そしてその過程で起こる別れに一喜一憂しない。自分の心のセンサーにそぐわないなら、無理しない。いつも自分を追求し続ける。
それは人生を終える時に、「ああしておけばよかった」と言わないために。
「私は全部やり切った。不十分だったけど、やりたいと思うことはすべてやり尽くした。その過程で出会ったすべてが私が今死を迎えるにあたっての糧となっている。」
理論や思い込ませ、理想論、負け惜しみなどじゃなくて、心の底からそう自分に納得して言えるように、私は一つ一つの選択を積み上げていく。
きれいな言葉でごまかさない。変な忖度で自分の本音をごまかさない。おかしいと思うことはおかしいと言える自分でありたい。それは誰かと戦うということじゃなくて、ただ自分が心地よく人生という仮の旅を過ごすために、その場所を確保するだけ。おかしいと思うことをおかしいと言えない環境であるなら、私は静かに遠のくだけ。
私は決して誰とも戦いたくない。ただ自分が心地よく自分を全うしたいだけ。
まずは自分の子どもたちが、私からその肉体を分け与えられたことを喜び、そして自立すること。だからと言って、決して子どもたちに喜びを強要はしない。感じるものはそれぞれのもの。誰かに無理強いされて感じなければいけないものじゃない。
私は誰の評価もしたくない。何の権威もないのに、評価の必要のない場所で誰かを評価する人を、私はあまり好ましいと思わない。
本当のその人のことはその人以外誰も評価すべきじゃないと私は感じている。
混沌とした自分の気持ちをアウトプットすることは自分自身のデトックス。
追伸
宮沢賢治さんの詩「雨ニモマケズ」をちょっと意識したかも、みたいな。
どういう自分でありたいか、日々自分と交信(笑)
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