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自己責任の定義、私流2022年Vr

すべて起こることは全部自分の責任。起こる事象はすべて自分の心の投影。ある意味それは本当だと思う。ただ、それをつかむあまりに自分を追い込み攻め続けてきた自分自身を振り返る。

苦しいことがあったとき、自分から目をそらさない。自分を受け止める。だけど、受け止めきれなくなる時もある。胸がいっぱいで詰まって、吐き気がして、泣きそうになって。

そんな時、やっぱり私の場合、温かさに救われる。

私は弱い。強くない。ちょっとしたことで動揺する。自分で自分のご機嫌を取らなければいけないことはもう十二分にわかっている。その分かっていると思っていることが自分自身を追い詰める。その強迫観念を緩めてくれるのがだらしなくても許してくれる家族って思った。気合の入ったおしゃれを特別にしなくても、まるごとの私を受け止めてくれる。底の底までどうしようもない私を受け止めてくれる。

英会話でも感じたことだけど、お互い波長が合うっていうのはとっても重要なことだなと思う。

今、ふと思ったことは、自己責任とは、自分だけで何もかも解決しようと自分自身を追い込むことではなく、本当にできるだけ心の底から気持ちをシェアできる人を見つけるセンサーを磨くことでもあるのかなと思った。

自分の感覚を磨き、できるだけお互いに自然体でいられる相手を見抜けるように自分を保つこと。

英会話の上達にも、そのセンサーはとっても重要だと今リンクした。

空気を読むって、日本独特である感じもするけど、どこにでも空気っていうのは誰との間でも存在していて、それはしゃべる言語とか人種とか関係ないって思った。

自己責任の定義、私流のとりあえずの結論。
本当に自分が羽を休められる人を見極めること。自分の心の動きを観察し、自分の心のサインをキャッチしてあげて、苦しいって言ってるなら、その言っている自分のサインに勇気をもって従ってあげること。


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