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瀧波ユカリ「わたしたちは無痛恋愛がしたい 〜鍵垢女子と星屑男子とフェミおじさん〜」(2)(講談社)

 そのページを開いた瞬間、文字通り、絶句してしまった。

 わたし自身含め「わたしたち」はこれまで、悪気もなく当然のこととして若いことは善いこととする価値観の中で取り扱われてきた。そんなことよりわたしを見てほしいという当たり前の思いにすら至らないほど、当然のように、若いうちにやらなくちゃ、もう若くないんだからわきまえなきゃ、という言動を無意識にしてしまう。それは、より引っかかりのない人生にするための術だ。わたしはわたしがもう若くないことを知っている、という表明のために「おばさんだから」といちいち枕詞を述べれば、それは防波堤となり自分自身が溺れなくて済む。
 しかしその防波堤は、もろい。完全には防ぎきれずにじわじわと水が流れ込んでくるし、なにより、周りにも水が流れ込む。自分自身が溺れないためのふるまいは、他人にも同じふるまいを強要する。

 だからこそわたしは、女性の若さに価値を感じることを放棄した――はずだった。はずだったのに、そのページを開いた瞬間に絶句してしまった。わたしは女性の若さに価値を感じてしまっている。だからこそ、その時間を貴重なものと感じて反射的に「もったいない」と思ってしまった。ただ時間の浪費をもったいないと思ったのではなく、若い女性の時間は特別なものという前提のもと、もったいないと思ってしまった。

 「わたしたちは無痛恋愛がしたい」には、あらゆる痛みが描かれている。傷つける者/傷つけられる者というわかりやすい対比ではなく、みんな傷つけもするし、傷つけられてもいる。そして読者自身も、これまで与えられてきた痛みを自覚したり慰められたりするとともに、現在進行系で加担している暴力性を自覚させられる。

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