【「Us(私たち)」と「Them(彼ら)」から、 全体で「Us(私たち)」へ 〜取り合いから、分け合いが始まる〜】
昨日のつづきをすぐいきます。
(もうスイッチ入っています)
ステレオタイプ(「こういう人はこうだよね」)から抜け出すこと。
7、14、21歳
7年ごとに子供たちを観察した研究があった。
日本人
アメリカ人
スペイン
キューバ
イギリスなど…
結果は全然違う。
文化が全然違う。
文化によって人がどんどん違うかたちで育っていく。
オルガはいろんなアイデンティティを持つ。
ロシアで生まれ、ベトナムの血も入っている。
ロシアにいると「何人?」と聞かれる。
「いやいや、ロシアで生まれたし!」
「わたしロシア人だし!」
わたしはココの人間だと思っているのに、
「君は何人なの?」
「どこからきたの?」
って何回も何回も聞かれるのって、自分はこういう人間であるって保っていくのが結構難しかったりする。
(わたしも日本にいる外国人に対してもそうだし、誰に対してもどの国の人かを尋ねるの、気をつけたいって思った。)
差別などは無意識で染み込んでいて、悪気なく出てくる。知らないうちに人に与えてしまっていたりする。
名前を何度も間違えるのはしたくないから「違う」ってハッキリ教えてね!名前を何度も間違えられるのって実は辛く、積みかさなっていくもの。
(うちの息子の名前、覚えられにくくていつも間違えられる。わたしもスルーしちゃうことがあるんだけど、名前って大事だよね。ちゃんと「違うよ!」って言っていいんだよって伝えよう、そしてわたしもちゃんと訂正する!)
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(参加者からの声を少し↓)
異質なものを感じられるということはギフト。
器の違いを優しさに変える能力。
そこがNVCとかに接している人たちはあるのか、求めているのかなぁって。
違うっていうことに対する緊張感と優しさ、その優しさもとても大事にしてほしいなって思いました。
違いは必ずしも怖さに繋がるわけではない。
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(オルガの続き、太文字が多くなります)
お互いを同じ人間なんだって見はじめる。
お互いを等しく同じ人間として見て、安全な環境の中でお互いを理解しようとする。
自分自身の体が何を言っているのか、共感と共にいる。
その場全体での共感を広げていくと「私たちが人間として持っているニーズってみんな一緒じゃん!」と共通点が見つかっていく。
「Us(私たち)」と「Them(彼ら)」から、
ココ全体が「Us(私たち)」になっていく。
取り合いから、分け合いが始まる。
誰が誰の隣にいるっていうのも、それが大事じゃなくなっていってどんどんミックスされていく。
自分の中で脆いところを誰かに共有するということは、それはギフトに転換される未来を作る。それを受け止めてもらえない時、みんながスルーしてしまう時は「痛み」になってしまうんだけれども。。
誰かの脆さを「こういうギフトとして受け取ったよ」っていうかたちで、返すと毛糸でどんどん編み物をしていくように、繋がりや絆がどんどん編み込まれていく。
NVCの中でも、マーシャルからずっと学んてきた人、マーシャルのことよく知らないって最近始めた人が集まると、そんなことってありますよね。
「違い」が『恐れ』にならずに『ギフト』になる。
境界線がひかれがちな中で、
ギフトを受け取ったとして相手に返す
→境界線がなくなっていく。
それでもやっぱり権力がある人には共感が難しかったりする。
馬がビー玉をたくさん持っていたとする。
たくさん持っている馬が「かなしい」と嘆いていても、ユニコーンは「いやいや、あなたいっぱい持ってんじゃん。」となって共感ができなかったりすることがある。
そういう中でもどういうふうに繋がっていけるか?
ギフトを、絆の糸を、紡いでいくこと。
こういうオンラインのセッションで画面に映りたくない人もいる。
全員がどういう状況で、一人一人の中に何が起こっているか、何があるかを把握することはできない。
自分がつながれてない、含まれていない、疎外感を感じている人がいるときに、自分がファシリテートをしていたら、その人たちのために扉を開き続けるため自分ができることはなんだろう?
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ここで、ブレイクアウトルームに分かれて、ワークをやった。
ワークのテーマは「自分の名前」。
私は夜遅かったのと、ちょっとこのテーマでワークをする勇気がなかった(また後日書きます)から、ブレイクアウトルームには参加しなかったんだけど、このワーク、たった15分ですごくシンプル、そしてすっごくパワフルだと思った。
「リスペクトとつながりのはじまり」
そのあとオルガが話してくれた第二次世界大戦での名前の話なども、胸が締め付けられた。
これ、めちゃくちゃ大切なことかもしれない。
またサークルでやってみよう。
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最後にオルガや参加者からの言葉で、
ずっと心にあるものを。
みんながオーケストラだとしたら、
みんなで違う楽器でみんなで音を出したい。
名前などのワークで境界線がなくなっていくとき、UsとThemの境界線がなくなったとき、その先の世界に何があるかがワクワクしている。
ユニコーンでも馬でも牛でもそこに「いる」っていうことはありがたいことなんだなって。すべての存在に祝福と感謝。
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以上!
このセッションは参加者とトレーナーのオルガのやりとりが多かったので、参加者のリアルな声をたくさんオープンにしてしまうことへの配慮もしたいし、アウトプットは半分くらいでした。(セッション見てほしー)
本当に参加者の声からもたくさんたくさんのギフトがあり、わたしは終始胸が熱くなったり、ワクワクしたり、感動したり、心が躍ったり、大忙しでした。笑
(いつものこと。笑 2時間半のセッションをほぼ文字起こししちゃったくらい。笑 ハイ、ヒマです。笑)
「異質なものを感じられるということはギフト。器の違いを優しさに変える能力。」
というのは、今のわたしには全く持っていないものだと思った。
「違う」と思っちゃいけない、とか「みんな同じ人間なの!」って思いたい、とか、そういうところに辿り着きたいってどこかで思っていたから。
でも、違うって感じられること、それはそれでギフトなんだって。その違いを感じられることをわたしも優しさにつなげていけたらいいなって。
ん??
わたし、含まれていない人とかマイノリティに気づきやすい人間。もしかしたらいつもではないけれど、違いを感じることを優しさにつなげることができているかも??
(わたしの今の器の大きさを超えるものだったら怖くて、心を痛めながらもスルーしちゃう時もあるんだけれど。。)
「違うっていうことに対する【緊張感】と【優しさ】。その優しさもとても大事にしてほしい。違いは、必ずしも『怖さ』に繋がるわけではない。」
なんなんだ、
この豊かな言葉たちと豊かな時間は。
やっぱりこのNVCの世界観が好きだし、
わたしはNVCに触れている人たちが好きだ。
オルガのこと、タイムスケジュールの写真を見た時から、すごく惹かれていた。
セッション中もチャーミングでずっと見入っていた。笑
やさしさが溢れていたし、感情によってとっても豊かに変わる表情、自然に溶け込むような雰囲気。どうやら、めちゃくちゃ好きである。笑
日本に来てほしいなぁ。
わたし日本にいないけれど。笑
では、二回に渡ってオルガのセッションのアウトプットをしてきました。
「Us(私たち)」と「Them(彼ら)」の向こう側。
わたしも見てみたい。
そのためにもわたしは今日もせっせとNVCのことを書き続け、24時間いろんな美しいすべて感情を味わっているのです。
では、皆さんも一緒に「Us(私たち)」と「Them(彼ら)」の向こう側を見ましょ♡ たのしみだー♡
また明日ココで♡
循環が循環を生むのがすきです。サポートしたいただいた循環を、文字で循環していきます♡