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これは、りんごですか?

私の記事を読んでくださる方は、精神、心理、スピリチュアル、哲学、形而上学などに興味のある方が多いように見受けられる。

目に見えるものだけが、全てではないと気づいている方々だ。

見えない分野は、出口のない迷路になる可能性と背中合わせだという事を覚えておいた方がいいと思う。

そもそも、どうして見えない分野に興味を持ったのか?苦しみを回避したい、幸せになりたいという願いがあったのではないだろうか。

だが、もしこのスタート地点が既に間違っているとしたらどうだろう?
私達はゴールする事のないレースを走っているのかもしれない。

瞑想などは、ちょっとそのレース一旦、止まってみようよ!という誘いなのかも知れない。
わざわざ、時間と場所をとってポーズをとる必要はないと思っているが、日常の合間合間に、ほんの少し空白の隙間を作るのはおすすめしたい。
連続していると思わせるマトリックスを、ブツブツ切っていく効果はあると思う。

私は日頃から違和感をとても大事にしている。
自分が感じる、理由は言葉で上手く言えないけど……理論的にもわからないけど……なんか引っかかる、なんかおかしい感覚は本当に大事だ。

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なぜなら、神聖で純粋なものは、一点の曇りもなく疑う余地という物がないからだ。

あなたが、何かを目指して頑張っているとしたら、その道中に色々な教えや手法に出会うだろう。

その時に、ほんの少しでも違和感を感じたら、絶対にうやむやにしてはいけない!
違和感を追求していって、問題なければそれでよいではないか。

そして、誰かに、これは正解なのかどうか聞かなければならなかったり心配なら、恐らくそれは不正解だろう。

何度も言うが、本物の正解の真理に触れたときは、有名な先生やなんでもしっていそうな人に聞く必要がないからだ。

それは全身全霊でまごう事なく正解だと自分でわかるのだ。その崇高さに疑う余地は一ミリもない。


りんご🍎を見て、「これはりんご🍎ですかね?」と聞くのは、ザクロだったり、グレープフルーツを赤く塗った偽物だからなのだ。

本物のりんご🍎を見たら、誰かに聞かなくてもわかるだろう。

現代は本物のゴールを目指すには、あまりに、もっともらしいフェイクが横行し過ぎていると感じる。そのどれもが、私達の選民意識や優越感をくすぐる

よくよく考えて欲しい、選民意識や優越感を喜んでいるのは誰だろう?
自分だけが満足する道は、逆方向に進んでいる。

本当に正しい道は、誰が見ても在り方が美しく非の打ちどころがない。

いま、あなたが進んでいる道はどんな道だろうか?誰が見ても在り方が美しく非の打ちどころのない道を、確認しながら進みたいものだ。

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