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不要なものなど、塵ひとつもない

今日の話は、聞き方によっては宗教チックに聞こえてしまうかもしれない。

だけど、色々な角度から伝えることが大切だと思うので気の向いた方は少々お付き合い下さい。

私達は、なにを求めて生きているのか?
とことんまで突き詰めていくと最後に残るのは「私は愛されたい」に辿り着く。

「私は愛されたい」が根底にあって沢山の要求が起きる。「私は愛されたい」から、愛される為に私達は日夜頑張る。多分、無意識だけどね。

では、なぜ「私は愛されたい」と思うのか?

そう、「私は愛されていない」と言う思いが根底にあるからだ。

いま、このままで「私は愛されている」と思っている人は「愛されよう」としない。なぜなら、もう「愛されている」から。

どうやったら私は愛されるのだろう?と考えた時に、私達人間はめちゃくちゃ沢山の条件を付ける。

明るくポジティブな人は愛される。
人に親切だったり、嘘をつかない正直者は愛される。
社交的になれば愛される。
綺麗になれば愛される。お金持ちになれば愛される。

逆に、陰キャはダメ、ネガティブはダメ、悪口ばかり言ってちゃダメ。

引きこもりはダメ、鬱病はダメ、酒ばかり飲んでちゃダメ、ダメ、ダメ、ダメ。こんな自分じゃダメ、愛されない。

こんな風に私達は、自分が愛される為の数多くの条件を信じ込んでいる。

ここで、ひとつ付け加えたい事がある。
私達はいったい誰に愛されたいと思っているのか?

掘って掘って掘り下げると、実のところ「神に愛されたい」に行き着く。

ここは、納得できない方もいると思う。なかなか捉えにくい感覚でなので。


取り敢えず「神に愛されたい」を前提に話を続けてみよう。

神を沢山の条件をクリアしないと私達を愛してくれない裁判官的なイメージで捉えていないだろうか?

最後の審判で善と悪を振り分けるって?
ゲートが閉まる前に波動を上げないと、さようなら??えっ??ちょっと待ってよ、その神怖くね?そこに愛はあるんかい?(笑)

それは、りんご探偵🍎的に言わせていただくと、羊の皮を被った狼ならぬ、神の仮装をした悪魔だ。

騙されないて頂きたい。神が「永野芽郁ちゃんは愛すけど、木下富美子都議はちょっと愛せるか自信ないな〜」って言うだろうか?

百歩譲って神なのだ、愛せないものをこの世界に作る必要はないのではないだろうか?

ならば、この世界に不要なものなど無いことになる。神が愛しているものしか存在し得ない事になる。

神が必要だから、あなたの目の前に落ちているゴミも野良犬も引きこもりの子供だって、寝たきりのボケ老人だっているのだ。

神の完璧な世界にはそれらが必ず必要なのだ。必ず。その必要性は個人の私達には到底理解できないかも知れない。

だけど、全ては愛されているから存在している。世界は丸ごと愛されている。

そこに、条件つけてこれは愛される、これは愛されないとレッテルを貼っているのが人間だ。

という事は、あなたが自分の事をどんなに嫌っていても、ダメ出ししてるとしてもそんな事は微塵も気にすることなく神はそのままのあなたを必要とし超愛してる(*´³`*) あなたが存在しているのが、なによりの証拠だ。

いつまでも、神に片思いさせないで本当は両思いだってこと気づいたらいかがだろうか?

世界は愛で溢れていた事に気づいて、きっとあなたは踊り出す……

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