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旧鳥羽小学校校舎

 三重県の鳥羽と言えば、普通の人であれば「鳥羽水族館」を思い浮かべるでしょう。私も鳥羽に行くまではそう思っていました。しかし現地に行って、道案内の看板に書かれていた「旧鳥羽小学校」に何となく行ってみたところすごく素敵な場所でしたので今回はそれについて書いてみようと思います。

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 この校舎は三重県に現存する鉄筋コンクリート建造物の中では最も古い建造物となっています。作られたのは戦前の1929年。もう100年近く経っています。
 ミキモトの創始者である御木本幸吉が鉄筋コンクリート作りを提案し、資金を出したと言われています。(ちなみに御木本幸吉は鳥羽出身

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 1929年から2008年まで、80年間学舎として使われていました。しかし何故、この校舎は使われなくなったのか。それは、旧校舎の場所に理由がありました。

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 流石に80年も学舎として使っているのもあり、建て替えが必要な状態になってしまいました。しかし立て替えることはできませんでした。なぜなら、旧校舎の隣は鳥羽城跡。その史跡を傷つけてしまう恐れがあるからです。

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 そういった理由もあり、建て替えず新校舎を別の場所に作り小学校自体を移転させました。また調査によりこの建物の設計者が清水栄二だと判明します。旧校舎を残して欲しいとの卒業生の声もあり旧校舎は無事に残され、その後登録有形文化財にも選ばれました。

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 残念ながら旧校舎の中には入れないのですが、今後は中も見学できるようになる予定とのこと。Googleで調べたら中の写真も出てきましたが、なかなか綺麗な内装でした。

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 これらは、頑張って窓に張り付いて撮った写真です。やはりまだ物品が多く、見学できる環境ではなさそうです。ただ壁や黒板、窓の感じなどうまく言い表せないですが、こんな小学校で勉強してたらそりゃあ残して欲しいっていうよなあと思います。

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 神奈川県では関東学院中学校の旧校舎が残念ながら解体されてしまったのもあり、こういった古い建物がどうにかこうにか残り、保存されていくというのは私としては嬉しい限りです。

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 旧の字が斜め上に書かれてるあたり、ほんの10数年前まで使われてたんだなあと、何だか不思議な気分になりました。

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