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「波のうえの魔術師」の世界

石田衣良著  初出
    波のうえの魔術師        1999年7月号
    曇り空のランダムウォーク    2001年1月号
    秋のディール          2001年7月号 いずれもAll讀物
長瀬智也 が主演したテレビドラマの原作
バブル崩壊後の銀行との株を挟んでの闘い……

買い物のついでに行った図書館で

 買い物のついでに久しぶりに図書館へ行った。市の図書館とスーパーマーケットが同じビルに入っているので時間の余裕があると行きやすいのだ。
地方都市ではロードサイドに出店する大型商業施設の影響で中小の店舗がどんどん廃業に追い込まれている。その上、最近では日本全国ほとんどどこでも配達してくれるネットショップが繁盛しているのもそれを助長しているようだ。この街でもシャッターの閉まったままの商店はかなりの数に上る。スーパーのコロッケとはひと味もふた味も違う、お肉屋さん特有の美味しい小生の大好きなコロッケとは、もうなかなか御対面できないのである。
 そうそう、まだ若かりし頃、スキーは若者大人気のスポーツ、レジャー。原田知世主演の「私をスキーに連れてって」なんで映画もあったっけ。友人達とのスキー旅行の帰り道、高速で誰ともなく「コロッケ食いてぇ―!」という声があがった。みんな小腹がすいていたのは同じで「よし、行こう」となった。まだ地元迄はだいぶ距離があったが、ちょうどお肉屋さんはやっている時間のはず。高速を途中で降り近くの街でお肉屋さんを探してぐるぐる走り回った。今のようにカーナビも食べログもない時代、地図だけを頼に街を彷徨いやっと見つけてコロッケゲット、 小腹を満たしみんなとても幸せな気分になった。たが、今の時代それはなかなか難しいのだなあ、としみじみ思った次第。

初っ端から話がそれた。

 図書館へ寄ったのは、このところ小難しい政治・経済、歴史や会計関係の本ばかり読んでいたので、何か気分の変わる軽い小説が読みたくなったのだ。日本文学、作者の五十音順に並んでいる書棚を眺めていると石田衣良の「波のうえの魔術師」が目に留まった。だいぶ昔、長瀬智也、植木等などでテレビドラマ化された「ビッグマネー!~浮世の沙汰は株しだい~」の原作だ。これは小生海外駐在時代、毎日日本のテレビドラマを借りて見まくっていた中のひとつで、わりと気に入っていた作品で覚えていたのだ。まだ原作は読んでいなかったので早速手に取り他の本と一緒に借り出した。
 作品に予備知識があり、仕事柄銀行や証券会社などともなじみがない訳でもない。すぐに小説の中の世界に浸り込んで行った。

「波のうえの魔術師」の世界

 この小説はフィクションではあるものの、時代はバブル崩壊後の日本そのものだ。読み進むうちに、当時の出来ことが次々と思い出されてきた。
 バブル時代、盛り場のネオンはいつ消えるのか判らないほど。新宿明治通りは終電が終わっても人通りが絶えず、タクシーを待つ酔客の群れ、日本中が浮かれていた。そんな中で小生は社会人生活を始めたのである。とにかく遊びも金遣いも派手だった。因みにバブルの象徴のように言われる有名なディスコ、ジュリアナ東京のお立ち台が有名になっていたのは、既にバブル崩壊後の92年から94年頃。
 勤めていた会社も業積は好調で、どんどん昇給もした。仕事は経理、会社の業容拡大に伴いどんどん後輩も入社。担当業務の難易度が上がり、量も増加の一途だった。残業、休日出勤は当たり前、決算の時などはホテルに泊まりこんだりもして、かなりきつかったが仕事は楽しかった。財務関連業務も担当することとなり、銀行とのやり取りも始まった。回収した小切手の入金、回収した手形の取り立てや割引、仕入や経費の支払い、借入、返済、入出金の予定表の作成、そして資金繰りと幅は広がっていった。銀行の担当者との会話も増えた。金利の交渉や、預金と借入のバランスなど上司の指示の下とはいえ、企業の業績と資金などについて徐々に理解を深めていった。
 
 91年に入りバブル景気は終焉を迎え景気は低迷し始める。主人公白戸が98年の大学卒業前の10年ほど景気のいい時代など聞いたことがない、といっていたのはこれを指してのことであろう。バブル後は大変な額の不良債権が残り、金融機関はその処理に追われた。住専に公的資金が注入されたのが96年。不良債権処理、株式相場下落による株式含み益の減少等から、BIS規制による自己資本比率確保のため銀行の融資姿勢は変化した。「貸し渋り」「貸し剥し」などという言葉が新聞紙上にも踊った。当時銀行との資金確保、借入枠確保の交渉は熾烈だった。特に都銀の締め付けは厳しく、それまでの貸出枠の使用制限などの申し入れもあった。他方地銀は比較的余裕があったようでそれほど締め付けはきつくはなかったが。
 97年11月、三洋証券を皮切りに北海道拓殖銀行、山一証券、徳陽シティ銀行が相次いで破綻。ジャパン・プレミアムが発生し、邦銀、日本企業はドル資金の調達に苦しんだ。当時、小生の勤務する会社の香港子会社は、金融再編、海外市場撤退などで取引銀行がみるみる減って半分以下になり、必要資金が調達できず苦しんだことをよく覚えている。たまたま、日本輸出入銀行(現国際協力銀行)が政府の支援策としてのドルローンを扱っていることを教えて戴き、資金調達に成功して難を逃れたのも、今となってはいい思い出だ。

 晴れた日に傘を貸すのが銀行だ、などと言われる。初めて銀行の所業に疑問を抱いたのはいつだっただろうか。支店の窓口に行けば女性行員がにこやかに迎えてくれ、清潔で、ぜいたくな店舗。世間の信用も厚く、暗い別の顔があるなどとは考えもしなかった。
「富士銀行行員の記録」小磯彰夫著を読んだのはいつだったろうか。内容は詳しく覚えていないが、銀行の悪行の告発だったと思う。この「波のうえの魔術師」では、86年に発売された「融資付き変額保険」が問題となっており、銀行の裏の顔を描いている。

融資付き変額保険 

 86年発売 5年ほどですたれたらしい。
 元本保証はなく、運用の中心は株式と債券一任勘定の契約。途中解約には高額の違約金、運用成績が悪くとも保険会社の変更もできない。日経平均のピークは1989年年末であるにも拘らず融資付き変額保険販売のピークは1991年で120万件と言われている。
 銀行は土地を担保に老人らに融資する。銀行は担保が融資金額を下回らない限りリスクは無く、金利おおよそ6%と手数料を受け取ることができる。ここでのケースでは、土地の見積もり価値3億円、融資額1億24百万円、担保掛目 41.3%、時価が半額になっても元は取れるうえ、毎年の本受取金利が7440千円。(元本返済は無いものとして計算。)
 老人らはその借入金をもって変額保険を購入、保険会社が運用を一任勘定で行う。一任勘定での運用であるから、高い運用手数料(1-3%程度)を受け取ることができる。保険会社の運用手数料を仮に2%とすると6000千円/年を受け取ることになる。もちろん元本保証はないので、保険会社はノーリスクである。

 なんともおいしい話ではないか。
 もとより狙ったのは、「相続税に頭を悩ませる資産家の老人、知識がない、投資経験がない、独り身であればなおよい」などとしていたのだから。圧倒的な知識の差、銀行の信用などをバックにバブル崩壊後の株式に投資をしている融資付き変額保険を売りつけたのだ。豊田商事のターゲットの狙い方そのものを銀行がまねたのだ。しかし、契約書には元本保証がないことなどの記載が小さくはあるがされており、本人が自署、捺印しているので裁判では勝ち目がない。

他にも、いろいろなエピソードがちりばめられ、物語は展開していく。

 ガールフレンドのミチルとのデートで都電に乗った際、障害を持った少年が乗り込んできても誰も席を譲らない日本人、それに対して、信号機のない横断歩道で困っている車いすの60近い女性に対して、駆け寄り車を止めて車椅子を押すアングロサクソン。
「目の前の弱者へは当然のように手を差しのべる。だが、目に見えない相手にはいくらでも残酷になることができる。」といって欧米の二面性、アングロサクソンの不思議を描いたり。

松葉銀行本店広報部お客様係の保坂遥に

「私はこの件で不思議なことがあるの。被害者の会の集会にも秘かに顔を出すことがあるんだけど、老人のほとんどは100%銀行が悪いという。契約した時点では運用益に期待していたはずなのに、誰もそのことは口にしない。長い人生を生きてきて、どんなことにも代償がつきものだと学ばなかったかしら。ここはオフレコでお願いしたいとけど無邪気にだまされたと騒ぐだけで、私は銀行にも生保にも実は責任があると思っている。でもあり老人たちは無邪気に騙されたと騒ぐだけで自分たちには責任は無いという。それは本当なのかな。白戸さんはどう思う?」
 確かに単純な善玉悪玉のゲームではないようだ。俺はしばらく考えていった。
「いい年をして欲をかいた償いとか、いい夢を見させてもらった報いだというなら確かにあの人たちにも責任は有るでしょう。でも、老人たちは自分のために変額保険にはいったわけではありませんよ。あの保険の根っこにある考え方は、自分が死んだときの一時金で相続税を払い、子どもたちに財産を残してやろうという自己犠牲や利他主義の精神です。それは大切な気持ちじゃありませんか。日本の経済を動かす大銀行だって、反省する必要があるはずです。あれは汚い仕事だった。」

 と言わせたり。

この「人の心の一番やわらかな部分に誘いをかけて、自分たちの利益だけ極大化しようとする。」というところは、現在進められているグローバル化、グローバリズムの先駆けのように見えて仕方がない。ここにバブル以前とは様相が変わったという世相の変化が感じられるのだ。

 確かに金融機関がなければ、現代の我々の生活は成り立たない。しかし、金融機関が欲望をむき出しにし、マーケットで暴れまわるのはどうなのだろう。2008年に起きたリーマンショック、アメリカでの住宅バブル、金融機関、ファニー・メイやフレディ・マックなどの連邦住宅抵当公庫は低所得者層まで住宅ローンを組ませて不動産を取得させ、その信用の低い貸出債権を多数集めてリスク分散した債権として売りさばいていく、いわゆる証券化で潤った。また、倒産リスクの保険を証券化した、クレジット・デフォルト・スワップは、リーマンショックの裏の原因だともいわれている。儲かるところにハイエナのように群がるグローバリストたち。
 アメリカも日本と同様にこうした金融機関に公的資金をつぎ込み、マーケットを守らざるを得なかった。しかしなぜそこまでなぜ行く前に戻れなかったのだろうか。

グローバル化、グローバルリズムって。。。

 グローバル化、グローバリズムは良いことだと単純に信じていた20年前の自分を思い出し暗澹となった。必ずしも良いことではないのだ、という事に気付くことができていなかったのだと。

 リラックスする、気分転換のつもりで手に取った本、楽しく読んでそれを紹介しようと書き始めてみたら、なんか深みにはまって重くなってしまった。

 さて、白戸は

「自分よりも人間よりも数字を取るの、見損なったわ、さようなら」

と言って去ったミチルと其の後縒りを戻せたのだろうか? 

やはり無理だっただろうな。

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