「障害者を生み出しているのは社会」

お久しぶりです。
単なる言い訳ですが、ありがたい事に色々なお仕事を頂けてノートに割くタイムマネジメントが疎かになっておりました。

と、いう事でタイトル回収です。
何年か前に読んだ本の帯に書かれていたこの文言。
本の帯以外にも、似たような言葉はそこそこ目にするし耳にする事があるのは自分だけでしょうか?

1.そもそも何を持って障害なのか。

身体の一部ないし全体に不自由があれば障害になるのか。
知的や発達に遅れがあれば障害なのか。
はたまた精神疾患を抱えれば障害なのか。
一般社会に不都合があれば障害なのか。

私の出した結論は「そんなもんわからん」です。

2.プロとしての意地があるからこそ、胸を張って「わからん」と言いたい。

じゃあ、一般的に言われる「身体、知的、精神その他心身機能がありそれを理由に生活上で制限を抱えるなど困難さを抱える人」以外は全部違うのかと言えば、それは
「違う」と勝手に思っています。
勿論、制度上は一定の要件を満たさなければ障害福祉サービスの支給決定は受けられません。
が、例えば「全身麻痺だけどなんにも困ってないぜ」という人もいれば「片腕に軽い麻痺があって、本当に生活が大変」という人もいます。

要は、その人の置かれる生活環境によって、そんなもんらいくらでも変わるという事です。
例え全く同じ程度の障害を持っている人が10人居ても、10通りになります。
寧ろ、

3.「障害者を生み出しているのは社会」という言葉の解釈と超個人的見解。

「どんな人でも不自由なく生活できて問題なく働くことができる社会であれば障害なんて言葉もなくなるよね」
的なニュアンスで本には書かれていたような気がしますが、それについては概ね同意しています。
確かに、世の中の段差が全て消え去れば車椅子の人も、下半身に麻痺があって歩行に不安のある人にとっても安心でしょう。

そう考えると、社会的にマイノリティな方を社会は
「障害者」としている気がしなくもないですが、
現代社会、潜在的な方を含めると下手したら障害者の方が多いんじゃないかと思う節があるのですよ。
明らかに精神疾患を抱えているけど病院に行ってない人とか、明らかに身体壊してるけど病院行ってない人とか。

そういった方も、どれくらいかはわからないけど一定数は居ると考えています。

もし仮に、そういった人も全て障害者認定されて、
「人口の半分以上がなんらかの障害を抱えていることがわかりました!」なんて事になったとしたら、それはそれで障害者が障害者でなくなる世の中になるのだろうか。そうなったとしたら現代社会で健常者とされている人の括りはどうなるのか。

飛躍してるかもしれませんが、偶にはこうやって突飛な発想をしてみるのも悪くないのではないでしょうか。
改めて結論に入りましょうか。

4.「やっぱりわからん」

そんなもん人の解釈によって変わるし、そんな定義付けやら言葉遊びに時間を割くぐらいなら行政はとっととFAXなんて廃止して全部メールで完結できる仕組みを作るべきだし、事業所もオペレーション改善して無駄な経費削減するとか、利用者様の生活の変容を客観的に証明できる支援の仕組みを作る事に尽力するべきだし、
支援員はプロとして研鑽を重ねるべきだと思う。

と、いう少々乱暴な結論で〆たいと思います。



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