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障害と個性と、時々多様性と。

さて、よく耳にもすれば目にもとまる「障害は個性なのか否か」論争。
なんなら最近は多様性という言葉もちらほらと。

ここについて独断と偏見で意見をつらつらと書き記していきます。


1.結論、本人が決めれば良い。

いきなり身も蓋もないですが、もうぶっちゃけこれに尽きると思います。
障害を個性と捉える当事者もいれば、そうじゃない当事者もいる。
その人それぞれが思う通りに捉えれば良いし、それに対して外野がとやかくいうこともしなくて良い。
さて、中の人も慢性疼痛持ちですが、自分自身の慢性疼痛に対する解釈も述べていきましょう。

2.ただただ煩わしい。

結論これに尽きます。
今でこそ薬の効果でそこまでに至ることはありませんが、一番ひどい時は四六時中全身の痛みに苛まれていたわけです。

当然どれだけ疲れていても痛みでまともに眠れないなんてこともザラ。
これを他人から「個性だね」なんて言葉で片付けられたら発狂しながら暴れる自信しかありません。
今でもそれなりに痛いわけで、自分からしてみれば某RPGゲームにでてくるような「呪いの装備」以外のなにものでもないわけです。

とはいえ、この状態になったからこそ、障害福祉に携わるものとしての学びがあったことも事実です。

3.怠薬の罪深さを知る。

翌る日の朝、ふとこう思ったことがあります。
「もう薬いらないんじゃね?」そう思った私は薬をやめてみました。

するとどうでしょう、薬をやめて24時間程度経った頃から、段々と手先と足先のピリピリとした痺れからはじまり、次第に全身に広がってきて。
「ここを耐えたらいいんだな」とやめとけば良いのに我慢を続けました。
大体48時間経った頃には気持ち悪くなる、頭が痛くなる、瞬間的に意識が飛ぶ(ような感覚)と酷くなり、たまらず薬を飲んで寝たことを覚えています。

時々現場では服薬忘れの事故が発生します。
あってはいけないことですが発生することがあります。
言葉で訴えられる利用者さんならまだしも、それができない利用者さんはどうでしょうか?
その苦しみを誰にも伝えられないことになります。
これは支援者として非常に罪深い。身をもって知ることができたことだけは財産になったと感じています。

さて逸れましたがそろそろまとめに入りましょうかね。

4.障害を個性と捉えるかはどこまでいっても自由。ただし。

勝手が過ぎるとそれなりの結果が訪れるでしょう。これは多様性も一緒。
そしてこれは障害の有無にも関わらないでしょう。
行動には良くも悪くも必ず結果が伴いますからね。

とは言え、自己申告の範疇であれば、自由でいいんだろうし、尊重すればいいと思いますよ。
尊重できないのであればソッと胸にしまって距離を取れば良いだけのこと。
わざわざ議論したり非難したりするようなことでもない気がす。
というより、それよりも大切なことは山ほどあるだろう。というのが見解です。

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