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お姉さまと呼びなさい 1/2 《短編小説》

【文字数:約4,400文字】

※ 終盤に暴力的・残酷な描写を含みます。
※ 本作は『あなたの死を願うから』の番外編『あなたの声を聴かせて』の続編に当たりますが、未読でも問題ないと思います。


 かつて私は魔女と呼ばれ、今は聖女としてあがめられている。

 この世に救世主をつかわしたとされる存在ながら、住処すみかにしている城の主が子供の頃に現れたとかで、私もその自称の聖女様とやらにあやかることにした。

 たまに奇跡で人を救ってみたり、神がお隠れになったからとサボったり、やりすぎないよう適度に働いて平穏な暮らしを手に入れる。

 流行り病で死にかけていた子供を娘にするまでは。

  ◇ 

 鏡の前で呼吸を止めて1秒すれば、あら不思議、望んだ顔に早変わり。

「……やっぱり気持ち悪いです」

 ブラシで髪をとかしていた娘が、怪物に向けるような渋い表情をする。

「人前に出る用のは別にしないと都合が悪いんだよ。だいたい、これに決めろと言ったのはあんたじゃないか」
「そうですけどぉ……」
「文句を言うよりも自分の身支度を終わらせな。ほらほら、まだ髪がはねてるじゃないか」

 自分が鏡を占有していたのは棚に上げ、娘の手からブラシを奪って髪の上を滑らせる。

「第一印象でナメられたら終わりだからね。あっちから手を出してきたら、こう、ガツンと」

 そう言って空中へとブラシを振り下ろすと、

「止めてよ。戦争じゃないんだから」

 呆れ顔をした娘から敬語がこぼれ落ちる。

「あっ、ごめんなさい……」
「別に構いやしないさ。外では私の妹ってことにするからね」

 くだらない噂や邪推を吹き飛ばすより、元から絶ってしまうほうが楽に決まっている。

「私たちは親を亡くした可哀想な姉妹です。それでも姉は城で働きながら私を養ってくれています。はい復唱して」
「私たちは親を亡くした可哀想な──」

 そこで言葉は途切れてしまい後が続かない。小さな肩が小刻みに震え出し、せっかく整えた髪が乱れだす。かけた呪いの副作用なのか、感情がたかぶるとなるらしい。

 死んだ親を弔うためとはいえ、自分の手で焼いた記憶と折り合いをつけるには、まだまだ時間がかかりそうだ。

「……しょうがないねぇ」

 ため息をついてから娘の頭を自分の頬に引き寄せる。鏡の中で並んだ2つの顔は、娘のご希望通りの母親似だ。

「落ち着いて。ゆっくり、ゆっくり息を吸って、吐いて……」

 顔の作りが近いせいか声も似ているらしいので、努めて優しく語りかける。

「あなたには私がいる。だから何も心配しないで」

 やがて湯あみをしているみたいに震えは収まり、刺々しいヤマアラシはつやのある羊に変わっていく。

「ありがとう……おかあさん」
「……あん?」
「あっ」

 しまったと口を押さえたってもう遅い。私は母と呼ばれるのが好きじゃない。

 実際はそれ以上に歳が離れているし、気持ち的には親子みたいなものだけれど、私にだって譲れないものはある。

「お、ね、え、さ、ま、はい復唱して」
「……おねえさま」
「よろしい」

 せっかく許しを与えたのに、小声だろうと「なんで」のつぶやきは聞き逃さない。

「あーん?」

 母親似の顔のまま、左右から娘の頬を引っ張ってやる。

「ごふぇんなふぁーい!」
「口は災いの元ってのは本当だからね。ほーれほれ、こうしてやれば少しは違うだろ?」

 外用の顔を作るときと同じ要領でもって、娘の顔面をもてあそぶ。かつて魔女と呼ばれた土地から逃げる際、寄せて上げる粘土細工をヒントに考えた方法は、これまで誰にも見破られたことがない。

 それにしても娘は見違えた。始めは朽ちかけの木片みたいだったのが、今ではちょっとした工芸品にだって劣らない。もちろんそんなことを本人に言うつもりはないけれど。

「ほらほら! そーれ!」

 楽しくなってきた陶芸家に水を差したのは私の下僕、もしくは配下だった。

「いつまで遊んでんだよ! 2人とも遅れるぞ!」

 手に収まるくらいの人形の背に蜻蛉とんぼより大きい羽がついた、分類としては虫に近い妖精だ。

「さっき自分でナメられるなとか言ってたのに、遅れたら笑いものだろ!」
「……ったく、わかってるよ」

 私が命を与えたせいか知らないけれど、ちくちくと耳の痛くなる小言が多い。いくら焼いても契約によって元通りになるので、ちっとも静かにならない五月蠅うるさい奴だ。

「だいたい姉ってなんだ! 若作りも度が過ぎると見てらんないぜ!」
「あぁ……」

 解放された娘が悲鳴みたいな息を吐く。どちらかといえば妖精への同情といったところか。とはいえ、絡んできたからには打ち返すのが礼儀だろう。

「……ぜろ」
「あべぶっ!」

 火打石となった指先から見えない火花がほとばしり、妖精の全身を灰も残さず焼き尽くす。

 かつて畏怖いふの念をこめて「炎珠えんじゅ」と名付けられた魔女。それが私だ。 

 ◇

  どうにか教師への挨拶を済ませて学校を後にする。司祭が勉強を教える教会ではなく、それなりに余裕のある家庭の子供が通う私学なら、娘も気兼ねなく通えると判断した。

 始めこそ学問なんて必要ないと嫌がっていたけれど、妖精が簡単な読み書きを教えたら興味が出たらしい。

「おかーさーん、さびしいよー」

 私としても聖女としての務めがあるし、留守番をさせるよりも健康的だ。

「どこにいったのー、おかーさーうわっちゃっちゃ!」
「……さっきからうっさいねぇ」

 羽を焼かれた妖精は空中でふらついたけれど、すぐに元通りの虫になって体勢を立て直す。

 城下町を一望できる丘の上に人の気配はなく、誰に気兼ねする必要もない。

「あいつは良い子だよ。俺様を見て怖がらないし、お前みたいに焼かないしな」
「それは本音だと焼いて欲しいっていう話かい?」
「ちげーよ! たぶんだけどあいつは……あんたみたいになれない」
「石ころだって磨けば光るさね。ま、あたしほどじゃないだろうけど」
「おーまーえーはー!」

 炎珠の下僕らしく炎の息を吐きそうな勢いだったけれど、その怒りは静かに鎮火する。

「……あいつは炎を武器として使えない。わかってるんだろ?」

 痛いところを突かれて視線をそらす。しかし妖精はその横顔に向け、容赦のない口撃を浴びせてくる。

「たとえ羊みたいな猛獣だろうと、手足を縛られてたらそのままなぶり殺しだ」
「死にはしないさ」
「あんたと同じ魔女になったらそうかもな。だけど心までは不滅じゃない」

 妖精は手近な岩の上に降り立ち、主人である魔女を見上げた。

「あの子はあんたに寄りかかって、それで立ってるようなもんだ」
「子供は親を頼るのが普通じゃないかね」
「だけどあんたはあの子をいつか、向こう側に帰したいと思ってる」

 風に乗って城下町から鐘の音が流れてくる。次の授業の始まりか、もしくは終わったのかもしれない。

「だから学問を身につけさせて、向こう側に行きたくなるよう仕向けてる」
「選択肢を作ってるんだよ」
「でもたぶん、あの子はこっち側に来る。向こう側に未練がないからな」
「……そんな予想が当たるもんかね」
「あんたはあの子に呪いをかけた。そのときに見えたはずだ」

 憎たらしいほど的確で、嫌になるほど主人を理解している。いくら焼かれても下僕ということか。

 死にかけだった娘をいやし、その掌を貫いて私は呪いをかけた。どちらかといえば加護と呼ぶのが正しいけれど、例えるなら娘と私の小指を細糸で結びつけたようなものだろう。

 紐づけられた存在は心を支えて補強する。今にも内側から朽ちてしまいそうな娘を救うには必要で、実際に役に立っている。

「あの子が1人で立てるようになるまで、私やあんたが面倒をみればいいじゃないか」

 その後は娘自身が決める。決めさせる。

「飼い主になったからには最後まで責任を持てよ」
「……あんた、焼かれたいのかい?」

 いつもなら身構えるはずの妖精は、おくすることなく主人を見つめ返した。

「炎珠とかの呼び名がつかなくたっていい。あの子に武器を持たせてやって欲しい」
「そういわれてもねぇ……あたしだってこうなった理由がわからないのに、どうしたらいいやら」
「それを考えるのが親の役目だろ?」

 妖精は娘を心配している。さりとて有効な方法がわからない。一時的に私の炎を与えることはできるけれど、先行きを考えるなら借り物に頼る意味はない。

「あーあ、ホントに子供ってのは手のかかるもんだねぇ」
「だったら俺らに譲ってくんねぇか?」

 声のした方角に首を向けると、お世辞にも綺麗とは言えない身なりの男たちが、下卑げびた薄笑いを浮かべて立っている。

 丘の下から低い姿勢で近づいてくるのは知っていた。相手のすきを狙う動きに加え、傷みは激しいながらも鉄鎧を着ているあたり、おそらく傭兵くずれかその類だろう。

 流行り病や飢饉ききん、戦争によって悪人が生まれるのは、炎が人間を焼くのと同じくらい自然なことだ。

「……静かにしていただけるかしら」

 外面を取り繕って反応を窺うまでもなく、こちらの声真似をして笑っている。

「おかーさまー! たすけてー!」

 野太い裏声は聞くにえない。自分たちが優位にあると勘違いしている態度もまた、私をすこぶるイラつかせる。

「はぁ……」
「ガキってのは手がかかるからな。俺らみたいな善人に託して、あんたは自由になればいい」
「なんだったら親子で面倒みてやるぜ!」

 面白さの基準がズレているので少しも楽しくない。そもそも目の前に現れたのは狩りの対象と見なしているからで、始めから逃がすつもりがないに決まっている。

 人形のふりをしている妖精も溜め息をついて、哀れな獲物たちに同情を示している。

 私は指と手首を軽く曲げ伸ばしてから、ゆっくりと肩の高さに腕を持ち上げた。

「まー、ちょうどいいか」
「……あ?」

 その男が発した最後の言葉と一緒に全身が赤熱し、一瞬で灰になる。着ていた鎧だけが自由を得て、どさりと地面にキスをした。

「な、なんだ……?」

 うろたえる男の頭が石窯で焼いたように黒く焦げ、続いて肩、腕、腹、両足が風船のように膨れ上がり、はじけ飛んだ。1つ前と同じように、灰となって風に吹き流されていく。

「う、うあぁぁ!」

 最後に残った男は恐怖に負け、今さらになって逃走を試みた。しかしその胸に大穴が開き、離れた場所に羽のついた人形が現れる。

「……ったく、獣だったら相手の強さをわかれっての」

 風通しの良くなった男は地面にキスをして、間を置かずに跡形もなく燃え尽きた。

 不思議なことに草や土は少しも焼けておらず、焼け焦げて元の形を失った鉄鎧を見ても、ここで何が起こったのか推測できる者はいないだろう。

「神はお怒りです……悔い改めなさい」
「どっちかってーとあんたに激おこだろ」

 いちおう聖女と呼ばれているからには格好をつけねばならないのに、なけなしの信仰心を下僕によって否定されてしまう。

 世界は何事もなかったかのように動き続け、上空の雲が太陽を隠し、またすぐに明るくなった。

 そこではたとひらめいた。

「いいこと思いついたよ。あの子に武器を持たせるんだ」

 嬉しさで自然と浮かんだはずの微笑みを向けられ、妖精が渋い顔でうなった。

「絶対ろくでもない方法だ……」



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