生きているだけでも死への抵抗になる
『布団の中から蜂起せよ』 高島 鈴 読了レビューです。
文字数:約1,000文字 ネタバレ:一部あり
本書はアナーカ・フェミニストの著者によるエッセイをまとめつつ、書籍化にあたって書き下ろしを加えたものであり、コロナ前、コロナの最中といった感じで時系列が前後する。
全8章のテーマ順に読む必要はなく、自分が気になった章から読み進めればいいと思うし、章末にある関連書籍も参考になるだろう。
個人的に良かったのは3章「ルッキズムを否定する」で、そもそも美醜という価値が人間社会を蝕んでいるのではと書いている。
動物の世界も異性を惹きつけるため、美しい羽を持っている鳥などがいるわけで、種の存続という観点からすれば美醜は自然発生したように思える。
ただ、それは「より美しい」を競うためのものであり、そうでないものが醜いわけではない。
外見重視主義すなわちルッキズムの邪悪さは、だれしも美しさを求めるのが当然であり、それを怠っているのは悪だとする考えとつながり、4章「布団の中から蜂起せよ――新自由主義と通俗道徳」とも関連する。
通俗道徳は明治期に提唱された概念だそうで、平たく言えば「努力すれば何でもできる」であり、裏を返せば「何もできていないのは努力できていないから」となる。
著者はコロナ禍にあってうつ病となり、統合失調症も併発していた。そうした状態での「頑張る」とは、布団の中で今日を生きることも含まれるのではないだろうか。
人間は何かしらの価値を持たねばならないとする思想にも、著者は疑義を唱える。
残念ながら資本主義は「価値」が尊ばれる世界なので、人は生きているだけで素晴らしい、という優しい言葉は理想でしかないのかもしれない。
それでも今日まで人間が作り上げてきた、歪で不格好な構造物の上に自分がいることを意識するだけでも、少しだけ心に刺さった棘が和らぐのではないだろうか。
技術や知識といった後天的に得る能力でないのなら、私は生後まもなくで爆弾を抱える体になったし、だれかの言った「○○は生産性がない」という範囲に収められても不思議ではない。
子供はおらず配偶者もいない独身は、この国の規定する一般家庭に含まれないし、おそらく今後も増えていくだろう。
10年前だと「普通にならなければ」というモチベーション、もしくは強迫観念もあったけれど、今となってはどうでもいい。
それが私だけの責任ではないと思えるのは、たぶん幸せなことだ。