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ヘルメットを「ダサい」と言った人は今……。

【文字数:約1,000文字】

 noteでやり取りのある人で、先日に電動自転車を購入したものの、運悪く転倒してしまったそうな。

 幸いにも大事には至らなかったらしく安心したのと同時に、もしも大事になっていたらと考えて、今回の記事を書くことにした。

 ヘッダー画像は昔の冊子用に撮ったもので、ヘルメットのメーカー、OGK Kabutoが販売していた3つの製品比較のために使用した。

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 ここ数年は密を避けられる、運動になるといった理由から自転車に乗る人が増えているらしい。

 趣味として乗る場合はヘルメットも購入している場合が大半ながら、通勤や通学用だと被っていない人が多く感じる。

 かくいう私も被り始めたのは趣味で乗り出してからだし、おかげさまで覚えている限り2回は命を失わずに済んでいる。

 どちらも転倒した理由が分かっているけれど、そうしたことを言えるのは生きているからに他ならない。

 だからといってヘルメット未着用を責めるつもりはなく、それが必要になる場合について考えて欲しい。

 坂道などで40km/hが出ていながら、道路が通り雨で濡れているとする。

 乾いた指をテーブルの上で滑らすと抵抗がある一方で、濡れていると多少なりとも滑らかに動く。

 タイヤも道路上で同じことが起き、近づくカーブを普段通りの速度で曲がろうとすれば、いつもとは異なる結果が待っている。

 直接の事故が起きずとも、慌てて車道側へ出たときに車が来る可能性も捨てきれない。

 スピードが出る乗り物は、そうした危険も合わせて増していくことになる。

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 これまで私は4つのヘルメットを使い、先日に古くなっていた4代目を新調した。

5年くらい生きた4代目

 今回は転倒したということもなく、傷みがあるとはいえ使える状態だった。

 ただ、ヘルメットを被っていることが「普通」になってくると、悲しいかな心のブレーキが弱まる傾向にある。

 自転車も新しいときは大事にするけれど、そのうち傷んでくると扱いも雑になっていくのが普通だろう。

 物を大事にするのは良いことだ。しかし何を持って大事にするのか、というのは忘れがちな気がする。

 だれもが命は大事だと頷くのに、どうにも信じがたい原因で喪われるのを見聞きするのは、向こう側に近い人間としても悲しくなる。

 たかだかヘルメット1つで解決するとも思わないけれど、今ここに1人それで生きている人間がいるのは本当だ。

 顔も名前も知らない故人ライダーに、いつか自分もなるかもしれないと思いながら、今日もヘルメットを被るのだった。


なかまに なりたそうに こちらをみている! なかまにしますか?