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産むも産まぬも産めぬのも

【文字数:約1,800文字】

 タイトルの「むも産まぬも産めぬのも」を早口で10回言ってみましょう。

 レディー……ゴー!!


 ……言えましたか?

 言えたアナタは最高!

 言えなかったアナタもNice fight!


 などと寸劇で始めたわりに内容はいつも通りです。おれの闇の波動を受けろ!


 先日、市川沙央『ハンチバック』を読んだ。

 去年の第169回芥川賞を受賞した作品で、前情報から敬遠していたものの、そろそろ目を通してみようという気になった。

 内容としては私小説のようでもあり、どうせ産めはしないけれど妊娠と中絶はしてみたい、という女性の性についてが主題の1つに思える。

 読み終えて思い出したのが『推し、燃ゆ』で第164回芥川賞を受賞した、宇佐美りんのデビュー作『かか』で、以前にレビューも書いている。

 『かか』も女性のみが持つ妊孕性にんようせいについて書いており、生物学上の性別が男性の私には想像するしかない世界に、ほんの少しだけ触れられたような気がした。


 私のフォローしている方で、女性の妊孕性と対をなす能力を持たない男性がいる。それが身体にも影響しているらしく、性とは不可思議なものだと思わざるを得ない。

 私自身も後天的な理由によるものか、左右でヒゲの濃さが違うという奇妙な顔で生きている。もちろん仕事のためにヒゲは剃るのだけど、翌日が休みなときに剃るのをサボると現れる。お前は誰だ?

 『ハンチバック』の主人公は先天性の異常により、呼吸のための補助機や痰の吸引機などを使い、どうにか死なないように生きている状態だ。

 医療の恩恵がなければ死ぬ弱い存在でも、生きていれば夢を持つ。

 それが妊娠して中絶することだという。

 なにをバカな、とすぐに拒否反応を示す宗教の人には本作を勧めることができない。ただ、限りなく死に近い人間の生き様として、主人公の夢を否定されるべきではないと思う。

 男性は体の作りからして子供を産むことができず、一方の女性が産むために負担するものは大きくて、育児も含めたら人生の約1/4を捧げることになる。あるいはもっと。

 すべての生物が共通して持つ目的は子孫を残すこと、などと理科の授業で習ったような気がする。

 そこで問題が生じる。

 生まれ持っているはずの生殖能力がない人間は、生きる価値がないのだろうか。もしくは様々な理由から子供を持たない人間はどうか。

 同作の主人公は妊娠したところで、胎児を育てられる体ではないという。

 健康な人でも不育症や妊孕性、はたまたパートナー側の問題など、子供を持ちたくても持てない人がいる。同性カップルも一般的な意味における、遺伝的な子供を持つことはできない。

 では妊娠して中絶するのは意味のない、ムダな行為なのだろうか。

 これは男性側からの視点になってしまうのだけれど、自分にそうした能力がある、という実感は自尊心にも繋がると思う。

 主人公が「設計図が間違っている体」と表現する肉体でも、人間というか生物としての機能を有しているという実感は、ク〇みたいな人生を下支えしてくれる。

 私には「あるはずのものがない」とはいわないが、物心ついた頃から片側に異常があって、それでも機能があるのは良かったと思っている。

 物騒な話を承知で書くなら、それは決して使わないけれど懐にナイフがあるという、どこか歪な安心感を与えてくれるのだ。


 大多数の人は健康な体を当たり前に享受している。

 そうした人々は「ないもの」を想像しにくいし、想像しにくいからこそ他者への無理解が生じる。

 本書の主人公が紙の本に対して抱く憎しみさえ、きっと言われなければ分からないだろうし、私もまた認識を新たにした。新刊インクの香りスハスハするの好きっちゃねん。

 極端な話にするのなら、死ぬほどの苦しみから解放されたくて安楽死を選ぶ人を、死ぬほどの苦しみを知らない人は理解しにくい。

 私は医者から「この処置がダメならアナタは死ぬ」と言われた人間なので、よくよく考えた末の安楽死を否定しない。

 本書を読んでいると、そうした許容値をこじ開けてくれるような気がして、だからこそ読んでいて苦しい気持ちになる。

 なんで自分は生きているんだろう?

 その問いを多くの人はしないらしい。私は10代の頃から問うていたのに。

 すこぶる悪い読後感の本書でも、この世に生まれた意味がきっとある。

 そんなことを壊れゆく体の作者に伝えたら、たぶん次のように返されるかもしれない。

 「知るか!」と。



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