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招かれざる客であっても続ける理由

【文字数:約文1,000字】

 先日に今年3回目の献血をして、次回は来年に入ってから可能になる。

 前回、前々回についてもnoteに記事として投稿しており、そういう人間が世間にいるのだと、わずかばかりでも周知できればと思っている。

 前回の記事にも書いているけれど、採血後に意識を失った記録が残り続けることで、今日の体調は良いですか、気分は悪くないですかと頻繁に聞かれた。

 そうした問いかけが気分を害すと分かっているだろうから、おそらく内心では帰って欲しいと思っているのだろう。

 いかにも面倒くさそうな医師による問診は、当たり外れもあるので仕方がない。心のこもらない「すみません」を聞いて、むしろ腹が立つのも顔で表すだけに留めた。

 そんな状態が今後も繰り返されるであろうに、私は2回目の意識消失が起きて、以降の献血を断られるまで続けるつもりだ。

 理由については何度も書いているとおり、自分の血液で誰かが助かるだろうし、いつか自分もお世話になる可能性があるためだ。

 ◇

 献血を始めた頃は意識しなかったけれど、献血可能な人口は思いのほか少ないようで、年齢が上がれば総じて不健康になりやすく、酒やタバコの影響も無視できない。

 1度でも他者からの輸血をした人は献血ができないし、外国への渡航歴や病気によってもNGと判断される。

 体に入れるものだから細心の注意が求められるとはいえ、要件の厳しさは今後も変わらないだろう。

 だからといって自分1人が献血を辞めたところで、全体への影響は問題にすらならない。

 だから私は自分のために献血をしている。

 文字どおり血の滲むような肯定感を得て、不足しがちな自尊心を満たしており、自分では作り出せない必須の栄養素を補うのは、形を変えたビタミン剤なのかもしれない。

 どうにか血液袋として機能する間は良いとして、お役御免になった後は過去の献身にすがればいい。

「ワシだって昔はなぁ……」

 そんなことを話す機会は訪れないだろうし、よく見知った人にしか献血のことは話していない。

 先ほども書いた通り要件の厳しさもあって、多少なりとも相手の尊厳を傷つけるだろうし、献血のできる自分は優れているなどと、誤ったメッセージにもなりかねない。

 だからこうしてwebという海に放流して、見つけた誰かが拾えばラッキーくらいの心持ちで書いているのだった。

 ちなみにヘッダー画像にて献血カードを支えている狼は、エジプト神話におけるアヌビスを象ったもので、冥界の神あるいは死神などとされている。

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