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あなたの声を聴かせて 《短編小説》

【文字数:約5,000文字 = 本編 4,500+ あとがき 500】

※ 本作は『あなたの死を願うから』の番外編ですが、未読でも問題ないと思います。


 なんの特徴もない村に生まれた娘。それが私だった。 


 あの頃は街道に沿って大小様々な集落があって、町ほどの大きさがない村は飢饉や疫病、戦争なんかで簡単に生まれては消えるから、新鮮なビールの泡のほうが長生きかもしれない。

 両親は領主の城に勤めていたけれど、多くの人がそうであるように読み書きは苦手で、私もまた同じだった。

 村にあった教会の司祭は高齢だったし、教師役として読み書きを教えずに信仰を説いてばかりなので、それほど慕われてはいなかった。でも私を含めた子供たちは、説法の後にお菓子がもらえるのを目当てにして、よく教会を訪れていた。


 もうすぐ小麦の収穫を控えた頃、私の生まれた村に流行り病がやってきて、健康な人は動けない人を置いて他に移り住んでしまい、私と両親は村に残された。

 ほとんど動けないほど重症だった両親を、早くに亡くなった司祭や他の人たちと一緒に教会ごと焼いて、私は誰か分からない炭を集めて1つの墓を作った。

 やがて自分も同じ場所に行くだろうと理解していたから、さしたる悲しみは生まれなかった。それよりも自分を弔ってくれる人はいるだろうかと、そんなことばかりを気にしながら数日が経った頃、不思議な体験をする。

 蜻蛉とんぼはねよりずっと大きく、向こう側が透けて見える羽を背から伸ばしているのに、少しも羽ばたかないで空を飛んでいる人形が目の前に現れた。

 妖精と呼ぶのが適当な空飛ぶ人形は、私を見下ろしながら周囲を飛び回っていたので、まとわりつく全身のだるさを引き剥がして腕を上げた。

 しかし伸ばした手は空を切り、少し高い場所に移動した妖精は、しばらくすると地上へ降り立つことなく何処かに行ってしまった。

 求めよ、さらば与えられんと、司祭は何度も言った。でもそれは嘘だ。求めても与えられない人はいる。

 枯れ木のような司祭の手は2つしかないし、お菓子を確実にもらいたくて前に座っていると眠くなり、起きるとお菓子はなくなっている。

 思い出すと眠っていた空腹が目を覚まし、やがてそれは痛みに変わる。地を這う虫のように体をよじっていると、地面を通して誰かの足音を感じた。

 耳は何かに覆われている感覚で、いつの間にか目は開けられなくなっており、かさついた肌で知覚した誰かへと、ふたたび手を伸ばす。

 温かな生きた人間の熱に触れて、どうか私を弔ってくださいと頼みたかった。

 でも私の肺は必要な空気を取り込めず、喉にいたっては声ではない咳しか生み出せない。本当の虫になってしまった私は、求めることを諦めて誰かの手を離す。

 けれどもその手をふたたび取った誰かが、私を抱え上げて歩き出すのが分かった。炭の香りがする教会を離れるほど、風に揺れる草木のざわめきを感じられるようになり、いくぶん人の声も聴こえるようになってきた。

 若い男は祈りの言葉を唱えながら歩き続け、それを子守歌にしながら辿り着いた場所は、人の気配の多さからして何処かの城のようだった。

 若い男と誰かが話をして、このまま私は城に置いていかれると分かり、これで安心だと笑みが浮かんだ。

 上手く笑えていたか自信はないけれど、若い男は私の頭を父や母のように撫でてくれた。そのおかげなのか、炭になった両親が元通りになる夢を見ながら、やがて私は深い水底に沈む眠りへと落ちていく。


 ふたたび目覚めると私の体は新しくなっていた。正しくは生まれ変わったように生気が満ちて、まとわりつくようだった全身のだるさも消えており、ベッドから身を起こすのも簡単だった。

「起きましたね」

 澄んだ声が耳に届き、首を向けると炎の燃える暖炉の近くに人がいて、どうやら女性が座っているのだと分かった。

 ゆったりとした寝間着、あるいは優雅なドレスにも見える服を着た女性は立ち上がり、足音をさせずに近づいてくる。

 美しいのに可愛らしさもあって、いまいち年齢のよく分からない容姿に身構えたけれど、その首元に見覚えのあるものを見つけた。

 蜻蛉の翅を思わせる透き通った羽が、精緻な透かし彫りによって表現されており、もしも空中へと浮かび上がったなら、あのとき見た妖精に違いなかった。

 女性が私の視線に気づいたらしく、

「この子があなたのことを教えてくれたのですよ」

 鋭利な短刀のような指先で示しながら、ぞくりとする笑みを浮かべる。

「……ここは……天国、ですか?」

 自然と出た問いかけに、女性が片方の眉を上げた。

「なぜそう思うのです?」
「だって……私は、もう……」

 続く言葉を声にするのが恐ろしくて、代わりにあやふやな疑問を口にする。

「おかしいんです。たしかに私は虫になったのに、今は人間に戻ってる。そんなの、おかしいです。ありえない。起きるはずがない……」

 そこまで訴えたところで、まだ自分が夢を見ているのだと思った。決して覚めることのない夢の中で、人間だった頃を懐かしんでいるのだと考えて、健やかさを取り戻した腕を持ち上げ、もう片方の手の甲をつねる。

「いたいっ!」

 まだ足りないのかと焦り、今度は柔らかい頬に手を伸ばす。

「いひゃいっ! なんで!?」

 これが死ぬということなのかと絶望したところで、美しくも可愛らしい女性の顔が奇妙に歪む。

「あは、あははっ! いったい何をするかと思えば!」
「えっ、あの、それは……」

 人形に魂が宿ったような豹変を前にして、うろたえる以外の反応ができず、たっぷり笑われて自分が痴態ちたいを演じたと気づき始めたところで、女性の首元にあったものが消えていることに気づく。

「あんた、こいつと俺様に感謝しろよ」

 顔の前に現れた何かが言って、それが妖精だと理解するより先に腕が動いた。とっさに大きな翅のついた虫だと反応し、健康なてのひらでもって払いのけてしまう。

「あいたぁっ!!」

 悲痛な叫びと共に大きな羽虫は弾き飛ばされ、そのまま燃え盛る暖炉に突っ込んだ。

「うわちゃちゃちゃ!!」
「あははっ! こりゃいい! 美味しそうに焼いてやろうじゃないか! それそれ!」

 なぜか楽しそうな女性が細長い火かき棒でもって、羽虫もとい妖精を暖炉の奥に押し込もうとする。

「やめっ! やめろ、おまっ! やめてっ! やめてくださいっ!」

 どう見ても惨劇のはずなのに、まったく深刻さの感じられないやり取りなものだから、ついつい我慢できずに笑ってしまう。


 どうにか笑いが収まったところで、火かき棒を持ったままの女性が言った。

「あんた面白いね。つまんない奴だったらまきにしようと思ったけど、気が変わったよ」

 さらりと怖いことを口走りながら火かき棒を放り捨て、女性は荒々しい足音と共に近づいてくる。

 美しくも可愛らしい顔が目の前にやってきて、

「なるほど……あんたの中にも炎があるね。うれいを宿した……そう、夕暮れ色の炎だ。ここに来るまで何があった?」

 距離そのままで問いかけられ、果物のような香りのする吐息が頬を湿らせる。

「……親を焼いて、殺しました」
「そこまで憎んでいた?」
「ちがいます。愛してました。今だって」
「じゃあどうして?」
「それは──」

 喉の途中まで出かかった、つまらない流行り病という現実を飲み込んで、私は真実を吐き出した。

「……生きたいと求めても、与えられなかったんです。両親や他の人、私だって。だから私はもう、何も怖くありません。何もかも全部、失くしたから」

 そこで言葉を切り、問いかける。

「司祭様が言ってました。あなたはきっと魔女ですね? 私を太らせて、それから食べるんですか?」

 子供を怖がらせて大人しくさせる、お伽噺とぎばなしの1つだと思っていた。でも助かる見込みのなかった自分が生きている時点で、目の前の女性が人間ではないと確信する。

 睨みつけるのではなく相手の瞳から答えを受け取ろうと、まっすぐに女性を見つめ返す。しかし返されたのは別の言葉だった。

「……あんた、ちょっとそこに立ってみな」

 そう言って距離を取った女性に促され、ずっと座ったままのベッドから立ち上がる。

 簡素ではあるけれど、上等な絹で織られた大きすぎる寝間着がずり下がり、肩とその他があらわになる。

「はて? あたしは食事にはうるさいんだがね……?」

 すぐさま全身が燃え上がったように熱くなり、さらに下がろうとする寝間着を掴んで反論した。

「わた、私だって……じゅ、10年もしたら、きっと!」
「そんなにお預け食らったら、こっちが干乾ひぼしになっちまうよ」
「だったら、わた、私がそれまで食事を作りますから!」

 母に手ほどきを受けたとはいえ、魔女の舌を満足させられるだろうかと別の心配が浮かんできたところで、

「もうそいつは仲間なんだし、それくらいにしてやれよ」

 暖炉に焼かれていた妖精が姿を現した。ところどころで焦げているけれど、意外に元気そうだ。

「あんたも上手く誘導されてるのに気づけよ。このままだと魔女の料理番だぜ?」
「うるさいねぇ。まだ焼きが足りないのかい?」
「んなわけあるかっ! じゃなくて、あんたはそれでいいのかって聞いてるんだ」

 怒ったり心配したりで忙しい妖精に問われ、しばらく考えてから私は頷いた。

「……何もかも失くした私に与えてくれたのなら、それでもいいのかなって」

 あまり怖いという感情はなく、むしろ楽しみですらあるのが不思議だった。すると女性は笑みを浮かべ、

「手を出しな。掌を上にしてね」

 命じられるままに私は手を伸ばす。

「これからあんたに呪いをかける。完全な魔女じゃないから老いもするし、悪くすれば人間みたいに死ぬ」
「……はい」
「だけど人間のように死にたいなら10年後か、それより早いか遅いか知らないけど、あたしの元から離れるんだ」
「そんなことはしません」
「今は信じとくよ……ちょっと痛いけど我慢しな」
「えっ、あぁっ!」

 ゆっくりと、瞬時に女性の指先が掌を貫き、思わず手を引っ込めそうになる。しかし手首を石にくわえられたかのような強固さで掴まれ、少しも身を引くことができない。

 そして穴の開いた掌から流れ出した液体は、床に落ちるより早く燃え上がった。

「あ、あつ、いたっ……くない……?」

 液体を伝って炎に覆われた手はすぐに鎮火して、掌は元通りになっていた。閉じて開いての動きにも変な感じはない。

「これで終わりっと……さすがに疲れるね」

 女性は掴んでいた手首を離して息を吐いた。

「えっと……ありがとう、ございます?」
「首を傾げながら感謝されてもねぇ。むしろあたしは恨まれる側なんだけど」


 そうして私は魔女のようなものになった。

 たしかに人間と同じように老いるし、怪我もすれば熱を出すこともあったけど、手から炎が出たのに納得がいかなくて、始めは騙されているんじゃないかと疑った。

 でも魔女が触れれば痛みや熱が和らいで、翌朝には何でもなかったみたいに治るから、私は与えられた幸せを大切にしようと思い直した。

 やがて私は本当の魔女になるのだけれど、それはまた別の話だ。




 こりずに『あなたの死を願うから』の番外編です。

 本編を未読の方はゴメンなさい。読んでくださっている方は毎度ありがとうございます。

 同じ番外編の『私は甲冑である』と対になる話で、人間が魔女になる一歩前、魔女のようなものになるまでを書きました。

 おそらく本編を読んでいる方は気づくかと思いますが、若い男は蝋人形の彼です。

 ただし誰かというのは明示していません。都合よく目が見えない状態ですし、10年も経てば別人に思えることでしょう。

 本作を書こうと思った発端は愛読者の方の声でして、ぼんやり思い浮かべてみたら話になりそうだと考えて、せっかくなら形にしておこうかと。

 ここまでくると自分で2次創作をしているような状態になり、けっこう気楽に書けてしまうから不思議です。

 固有の人名を使わないのも利点の1つで、日記みたく「~だった」で始めれば良い感じに進んでいくようで。

 本編は完結としていますから、この物語は作者にとっての遊びです。

 遊びは楽しく気楽に、がモットーですので今後も続くとは約束できません。そもそも読む人がいるのかしら。

 そんな感じで緩く書いてますが、また機会があれば目を通してくださればと思います。

なかまに なりたそうに こちらをみている! なかまにしますか?