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はじまりの魔女 《短編小説》

【文字数:約6,500文字 = 本編 6,000 + あとがき 500】

※ 冒頭に暴力的・残酷な描写を含みます。
※ 本作は『あなたの死を願うから』の番外編ですが、未読でも問題ないと思います。


 どこのだれが言い出したのか知らないけれど、いつからか私は魔女と呼ばれるようになった。

 そんな私にも娘がいる。血はつながっていない他人の娘ながら、10年も一緒にいれば関係なくなる。少なくとも私はそう思っているし、きっと娘も同じだと信じている。

 だから大切な娘をたぶらかした男を糾弾するのは、正義の行いとして認められている。例え神が許さなくても私が許す。私を魔女にした張本人こそ、神という存在だから。 


  窓のない地下室のような部屋にいるのは私と娘、そして石畳にひざまずく男の3人だった。もっとも全員が人間とは呼べないし、壁際に並ぶ彫像は生きているとは言えないので、3つの何かがいるとするのが正しいかもしれない。

「お願いします。僕に機会をください」

 何度目か忘れた懇願を聞き流し、傍らに置いたグラスから喉にワインを流し込む。

 城の完成とともに献上された年代物のワインは、喉に差しかかったところで干上がってしまい、舌の上で楽しむことしかできない。そうなっているのは跪く男のせいだ。

「お願いします。僕に──」
「黙れ」

 男が言い終える前に、中身の空になったワインボトルを音もなく投げつける。

 すると衝撃でわずかに仰け反った男の腹に、ボトルが奇妙な角度で突き刺さった。その注ぎ口からワインよりも粘度の高い液体が流れだす。しかし床の上に広がった液体はすぐに干上がり、男の芸術的な姿もまた見飽きた状態に戻ってしまう。

 娘の下僕である男は死ぬことがなく、娘が契約を破棄しない限り、何度でも甦る。少し賢いくらいの男を下僕にした愚かな娘は、離れた場所に作ったベッドで眠っている。正しくは眠らせている。その目元にある赤い腫れが治ったところで、娘を苛む罪悪感は消えないだろう。

 男と娘が望んだ新たな命は産声を上げることなく壺に収められ、壁に作られた棚で数を増やし続け、それに比例して娘は憔悴しょうすいしていった。いくら肉体が滅びずとも、内側に宿った心まで不滅であるはずがない。

「お願いします。僕に機会をください」

 耳ざわりな音に顔をしかめた私は、跪く物体に早足で近づいて、揃えた2本の指を右、左、下と振るう。

 その動きに合わせて2つ、3つ、4つと細かくなる物体が何かに似ている気がして、母親の作ってくれたミートパイだと思い出す。

 よく温めた暖炉に入れるのが美味しく作る秘訣なの、と小麦粉で頬を白くした母親の教えに従い、広げた掌を前に突き出す。するとミートパイもどきから炎が噴き出し、食べ頃を通り越して跡形もなく燃え尽きた。

 けれど少し経つと塵が集まって人間の形を編み上げ、寸分たがわぬ位置と姿勢でもって男が現れる。

「お願いします。僕に機会をください」

 壊れた人形と同じ男は、もしかしたら他の言葉を失ってしまったのかもしれない。試しに頭を乱暴に掴んで無理やり立たせようとするが、壊れても下僕である男は微動だにしない。

 仕方なく頭だけを外して持ち上げ、自分でも驚くほど冷たい声音で問いかける。

「お前さえいなければ全て上手くいく。それが分からないのか?」

 愚かな娘が愛した男もまた、やはり愚かなのだろうかと諦めかけたところで、目の前にある頭の唇が動いた。

 絶対に嫌です、と声の代わりに伝えてきた頭を壁に向かって投げつける。ふたたびミートパイもどきができたけれど、さすがに焼き上げる気にもならず、私は大きな溜め息をついた。

「お前も、娘も、どうしてそんなに頑固なんだ……」


  私とて始めから魔女だったわけではなく、すべての大人が子供だったのと同じく、ずっと前は人間だった。

 地方領主の家に生まれたから生活に余裕があり、元は小作農だった父親は領民からも信頼されていた。だからといって飢饉や戦争と無関係でいられるはずもない。

 大きな災難に遭うと理由を探したくなるのが人間というもので、ばかげた噂が大小様々に飛び交う中で、裏で魔女が手を引いているというのがあった。

 得体の知れない存在を作り出し、不満や不安を押し付けることで今現在の痛みを和らげる本能に、たまたま私が選ばれただけのことだ。

 もちろん肯定できるはずがないけれど、否定しても信じてもらうことができなければ、それは事実として成立する。

 子供の頃に母親が読み聞かせてくれた物語と違い、領民たちは家畜に向けるのより酷くさげすむような眼差しを投げ、それどころか腕を縛って十字架に吊るし、盛大に積んだわらへと火を放った。

 おいしく料理するつもりがあればしないだろうに、真っ黒い炭になったはずの私が目覚めたのは、墓地に止められた荷馬車の上だった。

「……ここ、は……」

 眠っていた馬が起き出して私を見ていたから、どうにか自分がまだ人間の形をしていると都合よく考えて、背にしていた炭の山から体を起こす。

 一緒に焼けたはずの寝間着は汚れていたけれど元に戻り、硬い炭だった手足を動かして荷馬車から降り、月の沈む水溜りを鏡の代わりにする。

 あちこちの肌が黒ずんで、絹糸には負けるけれど自慢だった髪は縮れ毛になり、何というか酷い有様と呼ぶしかない。とはいえ、こんがり焼かれて生きている不思議のほうが重要だったし、それよりも差し迫った問題がある。

「お腹すいた……」

 自分の置かれた状況を理解するのは先送りして、動物の本能に従って視線を巡らせる。空腹に加えて強い喉の渇きを覚えたのは、体の延焼がまだ続いているのかもしれない。

 少し先に薄明りの漏れる墓守の家を見つけ、明かりに引き寄せられる虫のように玄関先へと近づいていく。扉には鍵がかけられていたけれど、冷たい把手の金属が温かくなったと思ったら、するりと抵抗なく開いた。

 中を覗くと小さな炎を燃やすランプが室内を照らし、すぐそばで男が椅子に座ったまま眠っていた。

 それが十字架の最前列で野次を飛ばしていたと気づいたときには手を伸ばしており、触れるか触れないかという距離まで迫ったところで、男は大きな炎となり一瞬で燃え尽きる。残された椅子には焦げた跡もなく、始めから人など住んでいなかったのではと考えて都合よく納得することにした。

 台所から食べ物と飲み物を調達し、空腹と渇きを癒してから自分のこれからを思い描こうとする。

 おそらく両親は家ごと焼かれ、自分を知る人間たちに見つかれば魔女に間違いないと追われるだろう。いっそ海の向こうにあると聞く新大陸を目指そうかとも考えたけれど、寒くもないのに体が震えたので諦めた。

 心なしか血色の良くなった腕を眺め、きっと自ら死ぬことはできないとも悟る。そもそも焼かれた人間が生きているはずもない。

 消去法で選択肢が決められるのはしゃくだけど、非力どころか無力な娘でもないから、いくらでも生きる術が見つかるはずだ。

 ひとまずの目標を定めてから空き家を漁り、持ち主の分からない服に着替え、最低限の生活用品をまとめた。寝間着は捨てていこうかとも考えたけれど、自分が人間だった頃の思い出として持っていくことにした。

 体に合わない小汚い服を指先でなぞれば、それなりの恰好がつくようになり、ひげを剃るためと思われる手鏡を見れば、縮れていた毛は元の艶のある姿を取り戻していた。

 外に出ると空は明るく、遠くの山脈から顔を出した朝日が全身を焼いた。このまま灰になるかと思いきや、活力と別の何かが湧きだしてくる。

 かつて人間だった魔女は口の端を持ち上げ、不遜ふそんな笑いを朝焼けの空に響かせた。

「神よ! 無知蒙昧むちもうまいの化身よ! 貴様の気まぐれに付き合ってやる私を、せいぜい祝福するがいい!」 


  いつの間にか椅子に座ったまま眠っていた。喉を潤すことのないワインにも、多少の酒精が含まれていたらしい。

 覚醒した意識で眠ったままの娘を眺め、絹糸と見間違えそうな白い髪を撫でる。人間として生きることを願っていたのに、結局は自分と同じ存在になってしまった愚かな愛し子。

 その元凶は眠る前と変わらぬ姿勢で彫像のように跪き、私に許しを請い続けている。

 大きく息を吐いてから、娘と似た頑固な男に向かって語りかける。

「お前の提案は馬鹿げているし、上手くいくとは思えない。お前と娘がむつみ合うのは構わんし、子供を望むのも本能に従っているまでのこと。だが──」

 そこで言葉を切り、形のない鋭利な刃物とともに言い放つ。

「娘と引き換えにするつもりはない。この身を石に変えてでも、お前の存在を消してやる」

 恫喝どうかつくさびが男を縫い留めたかに思えたけれど、むしろ自由を得たかのように立ち上がっただけでなく、その顔には晴れやかな笑みすら浮かんでいた。

「そのお言葉を待っていました」
「ほう……?」

 どうにか手が出そうになるのを堪え、続く男の弁舌を待ち構える。

「僕は彼女の願いを叶えたい。けれどそれによって彼女を喪うつもりもない。だから僕とあなたの目的は一致しています」
「貴様が消えれば全て解決する」
「それが彼女の願いでないと、あなた自身がよく知っていますよね?」
「……ならどうする? 人間になった娘を赤子と一緒に放り出せと?」

 魔女でなくなった娘には様々な困難が降りかかり、乳飲み子を残して先立つ可能性すらありうる。魔女は普通の人間として生きることはできず、どうしようもない溝が両者を隔てている。

 始めから解決する術はなく、地を這う虫が空を飛べないのと同じだ。それなのに男は首を振り、明るい表情を崩さない。

「僕もそれを望みません。あなたの元に彼女を連れて来た責任がありますから」
雛鳥ひなどりが始めに見たものを親と思うのと同じだよ。貴様を消して記憶を……まさか」

 自分で口にした言葉によって身震いする。しかし男は否定しない。

「僕は彼女とともにりたい。そのためなら悪魔にもなれる」

 不遜の化身となった男の唇は滑らかに動き、自らの内側でうごめく野望を声に変えていく。

「頃合いを見て彼女には魔女に戻ってもらいます。偽りの記憶を植え付けるのは心苦しいですが、心を生き長らえさせるには必要なことですから」

「……産み捨てられた子供は復讐にやってくるかもしれないな」

「むしろそうなることを僕は望んでいます。戯曲のような美しい再会にはならなくても、互いの運命が交わる奇跡を信じたい」

「私が記憶の綻びになる存在を看過するとでも?」

「あなたは人間を消すことに罪の意識がない。でもそれが自分と関わりのある存在であれば、話は変わってくる」

「……聞いているだけで吐き気がする。復讐に燃えた子供が娘を害するなら、お前は──」

「殺します」

 かぶせるような即答に顔をしかめ、それから息を吐いた。

「そこまで覚悟していながら、お前は自分を悪魔だと言い張るのか……」

 淀みなく自らの野望を口に出した男の目元は赤くなり、頬を伝った塩水が床へ落ちる前に蒸発して意味を失っていた。

「僕は彼女の願いを叶えたい。どれだけ彼女から恨まれようとも、いつか子供を手にかけたとしても」

 人間でない存在が人間のような幸福を得るために払う犠牲。それらを引き受けたところで継ぎはぎだらけの醜さを隠すことはできないだろうし、所詮はしょせん人間ごっこでしかない。

 しかし男は馬鹿げた計画に自らを賭けようとしている。気まぐれな神の采配を頼りにするのではなく利用しようとする野心家を、私は嫌いになれなかった。

「……わかった。私もできる限り協力しよう」 

 そして男は自らの存在を隠すために甲冑となり、魔女に戻った愚かな娘は偽りの記憶を与えられ、私は彫像として2人を見守ることにした。

 形だけは安定した日々が続くと思っていたけれど、人間の子供が大人になるのを止められない以上、そのときがやって来るのは必然だったのかもしれない。

 ある日、娘が人間を連れて現れる。その顔は甲冑が人間だった頃の面差しを備えていた。

「不思議な場所ですね」
「ここはカタコンベ、現代で言うところの墓地だよ」
「……あなたは永遠に生きるのでは?」

 ぎこちなさの中に親しみを感じ取り、男の描いた野望がすぐそこまで近づいてきていると悟った。 


  あれから色々あって、私には孫ができた。血はつながっていない他人の孫ながら、10時間ぶっ通しで語り続ければ関係なくなる。たぶん。少なくとも私はそう思っているし、きっと孫も同じだと信じている。

 それぞれが与えられた呪いを引き取ることで、愚かな娘と男、その子供は人間として生きることになった。はじまりは私が娘に呪いかけたことで、それが苦難の元凶になったことは認めないといけない。でも引き換えに得たものは大きくて、未来を楽しみに待つ幸福を与えてくれた。 


 娘たちの移り住んだ村には古い教会があり、財政も厳しい中で壊すか直すかで議論になっていた。

 地域の活性化策について研究しているという設定の娘は、現代の工法を取り入れつつ改修する案を提示して、かつて司祭だった男がその指揮を執ることで直す方向に固まり、それは私の引越しにもつながった。

 教会と隣接する空き地に一回り小さな建物を作り、美術品を飾るという名目で移された私と他の彫像たちは、まるで生きているようだと評判になり、製作年が不明なら作者不詳なところも様々な噂を呼んで、国内外の各地から見物客が訪れるようになった。

 もとは人間かつての魔女が、今では崇敬の対象となっているのが可笑しくて、たまに笑ってしまいそうになる。

 今日も娘たちと懇意にしている2人がやって来て、ひそひそ声で何やら話し始めたものだから、笑うのを堪えるのが大変だった。

「……こんなにすごい建物を作るなんて、お姉さんはお金持ちなんだろうな」

 燃えるような赤毛をした男のつぶやきに、夜の闇を染みこませた黒髪の青年が言った。

「こんな村に越してきてるんだし暗号資産とか、何かそういう感じの収入があるんだろ」
「ますます魅力的だ……君もそう思うだろう?」
「ったく、金に釣られて恥ずかしくないのかよ」

 黒髪の発した苦言は赤毛にとって誉め言葉のようで、眩しい笑顔でもって切り返す。

「人生のすべてにおいてお金は必要だし、Your Tubeの好きな君は原始人に戻れないだろ?」
「無料なものと比べられてもなぁ」
「君はそう思っていても別の形で支払っているんだ。例えば趣味嗜好、見ている時間だって──」
「ああもう、うるさいなぁ! ここに並んでる人たちを見習えよ!」

 黒髪が声を張り上げ、私や他の彫像たちを手で示す。

「昔から変わらない佇まい! これこそ不変! そんな人たちは金に執着するお前を笑ってるぞ!」
「ははは、君は何を言ってるんだ。ただの彫像が笑うわけ──」

 そこで言葉に詰まった赤毛の視線を追って、黒髪の表情もまた凍りつく。

「わ、わわ……笑ったぁっっ!!!!」

 私が彫像らしい表情に戻った頃には、2人は外へ飛び出していった後だった。迂闊うかつだった。だけどこういう失敗が起こるから、長生きするのも楽しいかもしれないと思うようになった。 




 しょうこりもなく『あなたの死を願うから』の番外編です。

 本編を未読の方はゴメンなさい。読んでくださっている方は毎度ありがとうございます。

 同じ番外編の『私は甲冑である』、『あなたの声を聴かせて』を補完しつつ、エピローグから少し時間が経った場面を描きました。

 黒髪さんと赤毛さんはエピローグからの出演ですので、未読で気になった方は続けて目を通してくださればと。

 甲冑が登場する理由は制作初期から考えており、『私は甲冑である』で触れ、今回の『はじまりの魔女』で明かされることになりました。

 別に書かなくても構わないと思いつつ、本文に現れない設定が蠢いているのも小説の面白いところです。

 トンデモな父と母ながら姑を懐柔するなら孫だろ、という安直な発想の本作ですが、目的のためなら悪になる父の姿勢は嫌いじゃないです。

 2人が子供を利用していると非難されるのは仕方ないにせよ、成長した姿を見たい親心は誰しもが持っている気がします。

 本作にて番外編の案は出尽くした気がしますので、以降は彫像のように見守る体勢になるかと。

 ここまで固有名詞ゼロの奇妙な本作にお付き合いくださり、誠にありがとうございました。

なかまに なりたそうに こちらをみている! なかまにしますか?