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あるアホウの生涯

【文字数:約1,000文字】

 昨日は連休の中で唯一、天気が良い日だったのでツーリングしつつ県立近代美術館、葉山で開催中の「芥川龍之介と美の世界」を観覧してきた。

 去年の8月に行ったときの記事はコチラ↓

 だいたい美術館、博物館に行くと3時間はかかる人間なので、開館してすぐ行こうと思いつつ寄り道をしてしまう。

対岸は千葉
海沿いの道が続く

 駐車場に着いた頃には昼を過ぎており、そんなにかからないだろうと思っていたら、結局は閉館で追い出されるような形に。最後が駆け足になってしまって無念。


 おおまかな内容としては先日に受賞作が発表されるなど、ノーベル賞のように名前が残る作家、芥川龍之介の生前に着目し、縁のある夏目漱石、そして菅虎雄との交流から読み解く感じだろうか。

 画家ではなく小説家なので当時の原稿や手紙といった展示が多いながら、芥川の描いた有名な河童が、ちゃんとした掛け軸になっているのは壮観だった。

観覧券と企画参加でもらえるステッカー

 場内は撮影禁止なので文字のみの紹介になってしまうけれど、執筆に使用していた紫檀の机や、夏目漱石の『吾輩は猫である』に関連した、3文字の「我猫庵」の墨書を観られたのが良かった。

 芥川の絶賛していた山脇信徳『叡山の雪』については、たしかに雪景色でありながら赤が点々と使われ、観ていると心がゾワゾワとする迫力があった。

 福岡県は久留米美術館で観覧した方が、コチラでより詳しく書いてくださっているので、興味があれば一読していただければ。

 他には親交のあった書家や画家、芥川家の隣に住んでいた彫金家の作品などがあり、意外なところでは漱石の描いた有彩色の掛け軸絵があって、2人の文豪とその友人の姿が思い浮かぶような。


 かなり密な交流もありながら芥川は1927年、35歳で服毒自殺を遂げる。その理由が「将来に対するぼんやりとした不安」であったというのは有名だ。

 亡くなる4年前の1923年には関東大震災があり、それも影響したのだろうかと思いつつ、追悼文を書いた川端康成もガス自殺を遂げ、三島由紀夫は言わずもがなであり、あの時代どこかしら狂気を持っていたのだろうか。

 たしかに何ヶ月、あるいは何年も作品に取り組むのはしんどく、評価されればされるほど、重荷だと感じる部分があるのかもしれない。

 最終作となった『或阿呆あるあほう一生いっしょう』の原稿を眺めながら、そんなことを考えたのだった。


夕暮れを美術館の裏手から



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りんどん
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