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あなたの死を願うから 4/8 《短編小説》

【文字数:約4,100文字】
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 やってくるはずの衝撃と断絶が訪れることはなく、貼りついてしまったようなまぶたをゆっくり持ち上げる。

 痛いほどに浴びていたはずの陽光は柔らかく、どうやら室内にいると気づく。部屋の中央には磨き上げられた石の食卓が鎮座して、周りには美しい装飾を施された胡桃くるみ色の椅子が囲んでいる。

 その場所が城の中だと気づいたところで、椅子に座っていた人形が口を開いた。

「やぁ、おはよう。よく眠れたかね?」

 少女のようでもあり、女性とも呼べる容姿をした人形が言って、空を燃やす夕暮れ色の瞳を細めた。

「君は魔女を探しているそうだね。おめでとう、私がその魔女だ」

 称賛に軽やかな拍手を添えると、白い髪がわずかに揺れる。

「あなたが……本当に?」
「ほう? 目に映るものを疑うのは賢い証だが、君は少し前の行いを忘れていないかな」
「少し、前の……あっ」

 慌てて首を折り曲げ、足と体が見覚えのある状態のまま存在することを理解して、

「なんで……」

 消え入りそうな悲鳴を吐き出して、その場にへたりこむ。

 あのまま石畳に抱きとめられたのであれば、よく熟れたトマトの末路が待っていたはずなのに、なぜか今なお元の形を保っている。

 すべての感覚が床に沈み込んでいく中で、涼やかな声が耳を撫でる。

「何も不思議なことはない」

 どことなく愉快そうな口調で続ける。

「まさか窓が勝手に割れるはずなかろう? あれは君をここに呼ぶためのものだ」

 投げつけられた言葉によって、急に錆びついてしまったかに思える首を持ち上げ、人の形をした魔女を見る。

 どうして、なぜ、と尋ねようとしたけれど、強い喉の渇きが声を殺した。

 それは意味を含まない赤子の言葉ですらなく、ひゅるひゅると虚しい風ばかりが通り抜けていく。

「間近に死を感じて疲れたのであろうな」

 勘違いのねぎらいの後、魔女は顔の真横で両手を数回、軽やかに打ち鳴らした。

「これ! 飲み物をここへ!」

 すると背後から扉の開く音と、金属をこすり合わせるような軋みが続く。

 わずかに首を回して視界に入ってきたのは、全身が銀色をした人間、ではなく甲冑かっちゅうだった。肘を直角に曲げて円形の盾と見間違えそうな盆を持ち、その上には脚と台のついたゴブレットが2つ載せられている。

 甲冑は食卓の手前に1つ、そして魔女の前にもう1つを置いてから2人に小さな礼をして、耳ざわりな音色を引き連れたまま部屋の外に出て行った。

「この城に君が来た理由は分かっている。これは取引のようなものかな」
「とり、ひき……」

 かすれた声で言葉を繰り返すと、魔女は満足そうに頷いてから自分を指差し、

「私と、君の取引だ」

 招待客へと向けられた指先と眼差しは鋭く尖り、ちくりと縫い針で刺されるような痛みに耐えかねて立ち上がる。

 見えない糸で引っ張られるまま食卓に近づいて、自分のために用意された飲み物を見下ろした。

 目の前に置かれた年代物のゴブレットには、墓場の土を夜の闇で溶かしたような液体が注がれており、ぷつぷつと不規則に泡立つ音が鼓膜を叩く。

 磨き上げられた石の食卓を挟み、絹糸と見間違えそうな白い髪の女が言った。

「もしも望みを叶えたいのなら、それを飲んでみせなさい」

 友人に勧めるのと同じ口調と笑みを浮かべているけれど、夕暮れ色をした瞳から放たれる眼差しは鋭さを増し、対面する1人しかいない招待客の動きを縫い止めている。

「……わかりました」

 かろうじて呼吸に載せた言葉が意味を含み、白髪の女へと届いた。

「よかろう。ならば一息に」

 すると眼差しの縫い糸が緩んで自由を得た。

「……いきます」

 首を軽く曲げて頷き、促されるままゴブレットを手にして顔に近づけ、慎重に、そして勢いよく傾けた。

 液体が舌の上から喉の奥へと滑り落ち、その通り道が焼けるような苦痛の後に残るものがあった。

「どれ、私も頂くとしよう」

 飲み干す様をとくと見届けた魔女が、招待客に負けない勢いでゴブレットを傾ける。飲むというよりも流し込む姿は清々しく、

「うまいっ!」

 喜びを発散させる表情は少女のそれだった。

 空になったゴブレットを食卓に置いてもなお、口の中には酸味と甘さの混じった刺激が踊り続けている。

 2人が飲んだ黒色飲料は一般的にコーラと呼ばれるもので、ペプシと同じ意味で使われる土地もあるらしい。

「やはり昔ながらの砂糖入りが一番だと思わんかね?」

 遅れてやってきた胸やけに顔をしかめつつ答える。

「……僕は、どちらかと言えば……ゼロのほうが……うっぷ」
「そんな細身の体で、わざわざ体の足しにならないものを好む主義なのか」
「そういう……わけでは……うう」

 含まれていた炭酸が自由を求めて暴れ始め、つんと鼻の頭が痛くなる。そのうち目尻に涙が浮かんできた。

 炭酸の一気飲みで苦しむ姿を愉快そうに眺める魔女のせいで、自分が何をしに来たのか忘れそうになる。

 自分の目的は願いを叶えてもらうこと。それは、

「……僕にかけられた、この呪いを……解いてください」

 コーラと条件を飲んだのであれば、要求を拒否するのは不公平になる。細い糸にすがるような想いで魔女を見た。

「僕は、もうこれ以上、目の前で人が死んで、自分だけが生き残るのは……耐えられません」

 始めは偶然や奇跡だと言われ、自分でもそう思っていた。しかし同じことが片手で数えられるようになると不思議がられ、両手で足りなくなったときには誰も寄りつかなくなった。

 客の訴えに耳を傾けていた魔女が薄く笑う。

「君自身は助かって今ここにいるわけで、それは自惚うぬぼれではないのかな?」
「ち、ちがっ──」
「いいや、違わない。君は代わりに死んだ者たちの分まで生き、やがては寿命を迎えて死ぬことが自らに課せられた運命だと、なぜそのように考えない?」

 反射的な勢いだけの否定を遮り、潤った喉でなめらかに言葉を紡ぐ。

「君に必要なのは救いではなく、孤独を友にして生きる覚悟だ。この私のように」
「……あなたに僕の、何がわかるんだ」
「わかるさ」 

 即答した魔女が椅子から立ち上がり、同じ目線の高さになった。

「私は永遠の命を持つ不老不死の存在だ。誰もが私の後に生まれ、先に死ぬ。親から捨てられた君の孤独よりも深く、強い悲しみが私の友だ」

 話していない自分の状況を言い当てられ、たじろぐ客に向けて魔女が歩きだす。

「始めは気味悪がられ、最後には離れていく。人間という臆病な生き物が選ぶことは呆れるほど同じだ。私が死からも疎まれるようになってから、何も変わっていない」

 ついに目の前に立った白髪の少女もしくは女性が、瞳の中で夕暮れを燃やしている。

 少しでも目をそらせば生きたまま焼かれる姿を想像し、どうにかその場に踏みとどまる。

 そのとき相手を射殺すようだった眼差しに、わずかな揺らぎが生まれた。

「ふむ、やはり君は──」

 明らかに弱まった火を、乱暴に開け放たれた扉が勢いよく吹き消す。

 向き合う客と主人にコーラを給仕した甲冑が、不快な金属の軋みを撒き散らしながら部屋に飛びこんできた。

「あっ! こらっ!」

 主人の叱責をものともせず、勢いそのまま体当たりをぶちかます。

 魔女は避ける間もなく甲冑に激突され、マナー無視で食卓の上を通過して飛んでいく。まるで羽が生えたような優雅な曲線を描き、扉とは反対側の壁に叩きつけられた。

「な、な……」

 少し前まで自分を糾弾していた魔女が蝶の標本になりかけ、それを実行した甲冑がこちらを振り向く。

 反射的に身構えてしまったけれど、腰から上がこちらに折り曲げられるのを見て、もしかしたら謝罪の意志を伝えたいのかもしれない。

「……あの、えっと──」
「いきなり来たら驚くじゃないか!」
「うわっ!?」

 今度は甲冑が空を飛び、扉の外へと姿が消える。続いて鐘を打ち鳴らしたような、けたたましい音の後には兜だけが足元に転がってきた。

「まったく! 誰に似たのでしょう!」

 握った両手の拳を腰に当て、頭部だけになった従者を睨みつけている魔女は、さっきまで壁際に倒れていたとは思えないほど元気そうだ。

「いやはや私の従者がとんだ失礼をしたね。ああ、彼なら問題ないよ。もともと空っぽな存在だから」

 その言葉通り甲冑の首から下が部屋に戻ってきても、本来なら詰まっているはずの中身が見当たらない。

「……僕は夢を見ているのでしょうか」

 やがて迷いなく頭部を拾ったデュラハンは、始めの甲冑に戻ると何度も両腕を振り上げた。どうやらこちらも怒りや抗議を表明しているらしい。

「ひさしぶりに生きた人間と話すのだから、少しばかり遊んでいただけだ!」

 すると甲冑は手を兜の横あたりに持ってきて、伸ばした指先をくるくる回す。

 一切の言葉を発していなくても魔女には理解できるのか、

「これだから頭の固い奴は」

 やれやれとため息をついて、いきなり胴体を殴りつけた。ふたたび扉の外に吹っ飛ぶかと思いきや、べこりと鎧が内側に向かって潰れる。

 しかし甲冑は両腕を円形に広げ、中身のない空間に空気を吸い込むような動作でもって、引っ込んだ体を元に戻した。そして先ほどと同じ動きを繰り返し、主人に対して抗議の意志を示す。

「ああもう、わかったわかった。私が悪かったよ」

 両腕を持ち上げて降参を申し出た魔女は、すっかり放置していた招待客へと向き直る。

「すまなかった。客を迎えるのは久しぶりで、つい言い過ぎてしまった」

 正直なところ甲冑と魔女のやり取りが肉弾戦すぎて、もう何を言われたのか上手く思い出せない。1つ確かなのは信頼に足る存在か判断する段階をすっ飛ばして、依頼をする、しないの二択になっていることだ。

「……僕の呪いを、解いて……くれませんか?」

 すると目の前の少女あるいは女性が、そんなことを言っていたな、と頼まれた買い物みたいな口ぶりで答える。

「いいでしょう。私の退屈しのぎに付き合ってくれた褒美です」
「……よろしくお願いします」

 恐ろしいはずなのに、どこか親しみを覚えていることに驚きながら、ごく自然に手を差し出して握手を求める。

 だが魔女は一瞬、夕暮れ色の瞳を見開いてからゆっくりと細め、そこに夜を迎え入れる。

「共にコーラを飲んだ友人の頼みです。私にまかせなさい」

 そうして握られた手からは生きた人間の熱が伝わってきて、不思議と気持ちが安らいだ。


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