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あなたの死を願うから 5/8 《短編小説》

【文字数:約3,500文字】
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 魔女についてくるよう言われ、食卓のあった部屋を出てから2つの階段を下りた。

 途中で通りかかった窓から外を見ようとしたけれど、使われているのが曇りガラスらしく、にじんだ青空と城の灰色しか分からない。

 そもそも城には大勢の観光客がいるはずなのに、聞こえてくるのは少し後ろを歩く甲冑の軋みだけだった。

「君が考えているとおり、ここはノルシュタイン城でもあるし、違う場所でもある」

 白い絹糸のような髪が揺れ、先導していた魔女が首を後ろに向けた。その口元には楽しそうな笑みが浮かんでいる。

「客人として招き入れたとはいえ、君がここを出るには私の許しが要るわけだ」
「……僕は死んでいないわけですね」

 まだ、と添えようか迷って飲み込んだけれど、代わりに同じ言葉が耳に届く。

「まだ生きて家に帰るつもりならば、その身に宿した呪いを解かないことを勧めるが」
「なぜです?」
「その呪いは周囲に死を招くものであると同時に、君を守る盾でもあるからね。雨が降っているのに傘を差さないのなら、どうやっても濡れてしまうだろう?」
「それは……誰でも同じ気がします」

 方法は分からないけれど魔女は呪いを解くことができるのだろう。しかしこれまで絶対に自分だけは死ななかったのが、同じようにはいかなくなると警告していた。

「本当に呪いを解いてくれるんですよね?」
「ああ、それは間違いない。綺麗に跡形もなく解いて進ぜよう」

 きっぱり迷いなく即答するわりに、相手の意志を確かめる優しさが嬉しかった。

「……ありがとうございます」
「感謝されることなど1つもないがね。私は君に興味があるだけさ」

 機嫌の良さそうな表情を崩さず、それでいて床から浮いているように魔女は先を歩き続けた。 


 さらに階段を3つ下りて窓のない空間に辿り着く。食卓のあった部屋よりも広く、壁に作られた棚にはいくつもの壺が並んでおり、地下に作られた食糧庫かと想像する。

 外からの光を取り込めないわりに明るいのは、自分たちを取り巻く上下左右が発光しているためだ。壁に触れてみると体温くらいに温かく、ざらざらとした石の感触を除けば人の皮膚に触れているようだった。

「不思議な場所ですね」

 口に出してから魔女に出会った時点で不思議だったと気づく。しかし案内役を務めた張本人は、呆れるでもなく静かに告げた。

「ここはカタコンベ、現代で言うところの墓地だよ」
「……あなたは永遠に生きるのでは?」

 遠慮がちに尋ねると魔女はわずかに首を傾け、視線だけを客に向けた。

「誤解があるようだから訂正しておくけれど、私たちにも死という概念は存在する。人間のそれとは異なるがね」

 そう言って壁際に置かれた彫像の1つを指差す。

「触れてみるといい」

 促されるまま陶器の白い肌に触れ、予想していたひやりとした感触でないことに驚き、反射的に手を引っ込める。

「温かいだろう? それは石になる途中の魔女だ」
「……なぜ石に?」
「私たち魔女は永遠の命を生きる。だが現世で生きるのに飽きた者は、生きる場所を夢の中に移して自らの体を石に変える。人間からしてみれば、その時点で死んだと言えるかもしれないね」

 引越しの理由と方法どちらも簡単には飲み込めず、あらためて彫像を視界に収める。まるで人間と同じ繊細さで作られた髪や肌を、甲冑が布で優しく拭いていた。

「彼は彫像の夫でね、終の住処として定めた遺跡が資源開発で壊されて、行き場がないところを拾ってきたんだ」

 迷い犬か猫みたいな言い方はともかく、しきりに頷く甲冑は魔女に感謝しているようだ。

 それぞれの彫像をよく見ると顔つきや服装が異なり、もっとも古そうなものは上から現代的な洋服を着せられているので、遠目だと店頭に立つマネキンと見間違えそうになる。

「さすがに生まれたままの姿では恥ずかしかろうと気を遣ったら、定期的に着替えさせろと言うようになってね。まったく、永遠に生きるとは際限のない欲と付き合うことなのかもしれないよ」

 面倒がっているような口振りだけれども、着せた服の埃を払う姿は楽しそうに映る。

「……2つ疑問があります」
「言ってみなさい。おおかたの予想はつくが」

 魔女は振り向かず他の彫像の手入れを始めたので、仕方なく幻想的に揺れる白髪に問いかける。

「その甲冑さん、が夫ということは……その、お二人は夫婦だったと──」

 言い終えるより先に、艶のある彫像の首筋を拭いていた甲冑が腕を振り上げる。怒りと抗議を表す動きだ。

「あの、甲冑さんは、何と……?」

 慌てて魔女に通訳を頼むと、

「私たちは今も夫婦だし彼女が完全な石になるまで添い遂げる。そりゃあ終の住処がなくなって他の魔女に頼るのは情けないけど、住めば都ということわざがあってだね……」

 頷きながら聞いていた甲冑が、最後のあたりで抗議を示したけれど言いたいことは理解できたので、ごめんなさい、と謝る。

「いいんだ。私も現役の魔女には感謝しているし、召使いとして働くのは楽しいよ。よかったら君もどうだい? 三食昼寝付きで給金は思いのまま。こんな好条件は他にないよ?」

 すらすらと並べられた翻訳は完全に間違っているらしく、恩があるはずの魔女に向かって指先を突き付け、声の無い罵倒を投げつけている。

 仲が良いわけでもないけれど楽しそうにしている彼らを見ていると、不思議と心が安らいでいるのが分かり、もう1つの疑問について聞く必要もなくなった。

 始めに魔女が言ったとおり、ここは墓地なのかもしれない。ただ、そこにいるのは物言わぬ死者の群れではなく、動きを止めただけの生者たちだった。

 魔女と甲冑による言葉と無言の応酬が一段落したのを見計らい、棚に置かれた壺の前で尋ねた。

「こちらは昔に城で働いていた方のものですか?」
「ああ、それはな──」

 棚に近寄り壺の1つを手に取って、

「これは私の夫だ。いや、だった、というのが正しいな」

 魔女は中から角砂糖のような白い欠片を摘まみ上げ、細めた瞳と同じ高さに持ち上げる。

「そこの甲冑と同じで、物好きな好事家こうずかというのがいるものでね」
「だけど今も話ができるんですよね?」

 同意を求めて彫像の夫を見る。しかし甲冑はぴたりと動きを止め、ただの置物へと変わってしまう。

「あれは人間の肉体を捨てたが、私の夫は人間のまま死んだ」

 魔女の視線を感じて向き直る。

「すべて私が殺した。私の目的を理解して、それに賛同してな」

 周囲のやわらかな明るさとは違い、夕焼け色の瞳には近づくものを焼く牙が光っていた。

 ごくりと唾を飲み込んで、後ずさりたくなる衝動に抗う。

「……仲が、良かったんですね」

 今も墓地に置かれているのなら、少なくとも憎んでいたわけではないのだろう。お世辞か皮肉のどちらかに取られるとしても、それだけは確かだと思った。

 光る牙を剥き出しにしたまま立っていた魔女が、ふふっと笑みを作る。

「そうだな。毎日あなたは美しい、神に使わされた天使か、あるいは魔王の命を受けた悪魔に違いないと言っていた」
「はぁ……」

 たぶん混ぜてはいけない組み合わせなので、どうにも反応に困る。

「門前払いを続けても懲りずにやってくるものだから、紅茶の1つでも出してやるかと招き入れたら、もうすぐ自分は死ぬと笑顔で打ち明けた」

 晴れたと油断したところで雲行きがあやしくなる。

「おそらく前世の報いとなる業病であるからには、決して救いを求めたりはしない。それでも自分という人間がいたことを覚えていてくれる人を探していたと、曇りのない瞳で言い切ったよ」

 そのときのことを思い出したのか、魔女は声を上げて笑いだした。

「だから自分だけでなく私の願いも叶えるなどと、根拠もなく宣言したのには呆れを通り越して笑うしかなかった」
「……それで最後を、看取ったと」
「こらこら、さっきも言ったろう? 夫を殺したのは私だ。そして何度も殺した結果のすべてが、この棚に並んでいる」

 意味が分からなかった。魔女を訪ねてきたのが1人だけでないのなら、軽く三十を超える壺の数とも符合する。しかし話を聞いた限りでは、複数の夫がいたようには思えない。

 そこで1つの可能性が思い浮かび、乾き始めていた喉を湿らせてから口を開く。

「もしかしてあなたは……死んだ人間を──」

 最後まで言い終える前に階段のあたりから、姿のない音たちが侵入してくる。教会の鐘楼しょうろうが歌うような重く力強い響きが、長く墓地の中で反響してから眠りについた。

「……時間だ」

 自分ではない声で我に返る。そっと壺を棚に戻した魔女が、階段に向かって歩き出した。

「ちょっとした余興がある。ついてきなさい」


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