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Dear Friends Sincerely yours

『彼方の友へ』 伊吹いぶき有嬉ゆき 読了レビューです。
ネタバレ:一部あり 文字数:約2,700文字

※ ヘッダー画像左:単行本 表紙 同右:文庫本 表紙

・あらすじ

 むかしむかし あるところに さくらはつ というなまえの まずしいしょうじょが おりました

 けれどもはつは じぶんのなまえがいやで さくらはつこ とかいています

 このものがたりは そんなしょうじょがみた ゆめのような なかまたちとの こころふるえる おもいでばなしです

・レビュー

主人公は90代の超高齢者?

 本作の主人公となる佐倉さくらハツ、もとい佐倉波津子はつこは老人施設で暮らしています。

 表紙に描かれているのは彼女の若かりし頃の回想なので、表紙詐欺だと乱暴に本を閉じ、勢いそのまま投げ捨てたくなる方もいるように思います。

 けれども本作の大半が「ハツ」ではなく、「波津子」の表記が用いられているため、まるで別人の物語として読めるのです。

 描かれるのも波津子が16歳だった昭和12年から、24歳となる昭和20年までであり、西暦にすると1937~1945年の8年間だけです。

 なんやかんやあって老人施設へと落ち着いた年齢を考えれば、たかだか8年は人生の1/10でしかなく、遠い過去の出来事に過ぎないのかもしれません。

 ですが10~20代の時期は、良くも悪くも人生の中で闇夜を照らす灯台のように輝き、それはきっと晩年でさえ衰えることがなく、むしろ遠ざかった歳月が光を強くするのではないでしょうか。

ファンから中の人になっちゃった!

 大正生まれの波津子は『乙女の友』という雑誌の愛読者で、幼馴染みで印刷所に勤める春山慎はるやましんから、その試作品を受け取って歓声を上げます。

 時代は大正から昭和平成そして令和となっていますので、現代風にするならYOASOBIや星野 源の試作音源が手に入った感覚ではと。

 なによりスマートフォンやパソコンは言葉すら存在しない時代ですから、紙の雑誌が大衆娯楽の代表格だったのです。

 経済的な事情で『乙女の友』を買えなくなってしまった波津子ですが、なんとその雑誌を作っている編集部で働くことになります。

 彼女に人々を魅了するほどの文才や画才があったから?

 あるいは編集や経理などといった技能があったから?

 いえいえ、波津子は現在の中学校のような高等小学校を14歳で卒業後、家事手伝いの仕事をしながら歌とピアノをわずかに習っていたくらいで、まったく編集部とは縁のない人間でした。

 それがひょんなことから編集部の主筆を務める、有賀憲一郎ありがけんいちろうの補佐のような仕事を得て、なんやかんやで活躍して現代へと至るのです。

 この『乙女の友』は『少女の友』という、実業之日本社じつぎょうのにほんしゃが実際に発行していた雑誌がモデルとなっており、作中の出版社名も大和之興行社やまとのこうぎょうしゃと、ほぼ一緒です。

 つまり本作は太平洋戦争に向かう当時の日本を舞台にしながら、同社および同雑誌に焦点を当てた歴史小説といえます。

 同じ時代を扱った作品としてはアニメ映画にもなった、こうの史代ふみよ『この世界の片隅に』があります。

 本作が東京の波津子を、『この世界の片隅に』が広島で暮らす、すずを主人公にしているのですが、絶望で心が折れそうな戦時下にあっても懸命に生きようとする姿が共通しています。

好きで女に生まれたわけじゃない

 波津子は有賀憲一郎の補佐として作家の元を訪ねたり、読者投稿の記事を手伝ったりと、彼女なりの精一杯でもって働きます。

 しかしある日、有賀から「辞めて欲しい」と退職を促され、その理由を聞いた彼女は次のように返します。

「好きで……女の子に生まれてきたわけじゃないです」

第一部 昭和十二年 101頁

 今よりも女性の地位が男性に比べて低く見られていた時代なので、結婚を控えた波津子の良き先輩、佐藤史絵里さとうしえりが寂しげに笑います。

「深窓のご令嬢として、働いたことがなかったようにしたいらしいの。変ね。私、働く自分に誇りを持っていたのに」

第四部 昭和十八年 276頁

 性別の他にも編集部には学歴や才能ある人々ばかりで、自分に自信のない波津子は何度もめげそうになります。

 しかしその度に周囲の人々が彼女を支え、励まし、やがて『乙女の友』を支える人間へと成長していきます。

魂を宿す言霊

 始めこそ波津子を疎ましく思っていた有賀ですが、次第に心を開いて彼女の持つ才能を認め、編集部を去る日には次のような言葉を贈ります。

「魂が宿るという不可思議な言葉を用いて僕らは互いの意志を確認し、心を通い合わせる。あいうえお、かきくけこ……五十音というだろう。僕らの言葉は五十の音色を鳴らして作る歌だ」

 書くんじゃない、と有賀が見つめた。

「君は歌え。佐倉の目線は誰よりも低くて、あたたかい。その歌は同じような立場にいる小さき者、立場弱き者の心をあたため、勇気づけるだろう。君はここで腕を磨いて、そういう力を得たんだ。丘千鳥にも霧島美蘭にもない、それこそが佐倉波津子、君の魅力だ。忘れないで」

第四部 昭和十八年 314頁

 戦争へと突き進む当時の日本では、家庭から金属製品を提供させ、食料の購入さえ配給制にするほどの物資不足でした。

 そんな時代だからこそ雑誌を、言葉を届け続けようとする波津子たちの姿は、戦後生まれの私にすら眩しく感じます。

 作中では飛鳥時代の歌人とされる、柿本人麻呂かきのもとのひとまろの短歌が詠われます。

 磯城島しきしまの 大和の国は 言霊ことだまの 助くる国ぞ まさきくありこそ

 現代訳すると

「大和の国は言霊が助ける国です。どうぞご無事でありますように」

 となり、敷島とも書く磯城島は、当時の言葉で日本そのものを表しています。

 波津子は様々なことを教わった有賀に向け、いつかのお返しであるかのように次の言葉を贈るのです。

「私、この歌のとおりであるようにと願っています。言葉の力が働きますように。どんなときでも『ま幸くありこそ』、有賀主筆」

第五部 昭和二十年 389頁

 こうして私が書くこともまた誰かの助けになっていればよいなと、少女でもなければ少年とも呼べない人間は願っています。

Dear friends Sincerely yours

 本稿のタイトルとした「Dear friends Sincerely yours」は単行本の表紙に書かれているのですが、まるで狙ったかのように帯で隠れてしまいます。

 書名に合わせた文字飾りの一種かと思いきや、読み終えたときに始めて意味が分かるようになっているのです。

 なんとも遠まわしな仕掛けですけれど、遠いからこそ光を強く感じられるとしたら、佐倉ハツこと佐倉波津子のように長生きをするのも悪くない気がするのでした。




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