時間が経ってじわじわと痛むのが落選痛。

通勤路で、旅先で、勉強会で出会った人たちを広く知ってもらうことができなくて、それがたぶん痛みの正体。

なによりあのときの私が見た景色を知って、日常のどこかに開いた底なし沼を意識してくれたなら、彼らにとってもそれは弔いになるだろう。

この記事が参加している募集

3行日記

なかまに なりたそうに こちらをみている! なかまにしますか?